山梨観光 14 恵林寺 2 [寺社仏閣]

恵林寺の境内は昨日ご紹介しました総門から始まります。
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境内を抜けると見えてくるのが
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【国重要文化財:四脚門(赤門)】※現在修復中で拝観出来ませんので、(2012年撮影)。

その赤門の先に
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【山門】
山門が見えてきます。山門の向こうに見えますのが
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【開山堂】
開山堂を正面に見て左方向へ向かうと
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【佛舎利宝塔(三重塔)】
三重塔が見えてきます。

反対側に目を向けますと
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【中門】
中門があります。その中門の奥に見えますのが、本堂になりますが、撮影禁止です。
では、庫裏へと進んでいきましょう。

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【庫裏】
庫裏の中を通り、様々なものを拝観出来ます。
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武田信玄の菩提寺である恵林寺明王殿には武田不動尊と称される不動明王坐像及び二童子像が安置されています。
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(※2012年撮影)
『甲陽軍鑑』『甲斐国志』巻七五に拠れば武田不動尊像は信玄が京から仏師康清を招聘し、信玄と対面して彫刻させ、信玄自らの頭髪を焼いて彩色させたものであると伝えられています。
像内は内刳りされ、像底には布張り漆塗の底板があることから、未確認ながら、像内の空洞に像内納入品を納めている可能性も考えられています。
中尊の不動明王坐像は像高92.9センチメートル。胸前の条帛には金泥で武田家家紋である花菱文が描かれていて、『軍鑑』『国志』では信玄の姿を写した像であるとする伝承が記されていますが、武田不動尊は左手に索、右手に剣を持つ儀軌どおりの造形で、相貌も伝統的な不動明王像の表現であることが指摘されているそうです。

その先にある大きな庭
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夢窓作といわれる庭園で国指定名勝です。
(※2012年撮影)
そして、この恵林寺で有名なものがもうひとつ。
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【うぐいす廊下】(※2012年撮影)
その昔、忍者や密偵などが侵入した際、音で察知出来るようにしたのだとか・・・。現在はこの技法は伝承されておらず、非常に貴重なものになっているそうです。

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兎に角、見所満載な恵林寺でした。
次回は、ここから程近いところにある寺院です。

山梨観光 13 恵林寺 1 [寺社仏閣]

恵林寺は、山梨県甲州市塩山小屋敷にある寺院で、山号は乾徳山(けんとくさん)。
臨済宗妙心寺派に属する寺院で、甲斐武田氏の菩提寺として知られています。

2年前に一度ご紹介したのですが、近所の寺院に拝観に行ったので再度拝観してきました。
昔の写真は酷かったので(^^;)

ではでは。

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鎌倉時代の元徳2年(1330年)に、甲斐国の守護職であった二階堂貞藤(道蘊)が笛吹川上流の所領牧荘を寄進し、五山派の夢窓疎石を招き開山しました。
二階堂氏邸を禅院としたのが始まりとされています。もとは鎌倉の円覚寺派に属し関東準十刹の寺格を有していたそうです。

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天文10年(1541年)には武田晴信(信玄)が臨済宗妙心寺派の明叔慶浚・鳳栖玄梁を招いて再興し、永禄7年(1564年)には武田氏により寺領が寄進され、永禄7年(1564年)に美濃崇福寺から快川紹喜を招きます。
天正4年(1576年)4月には、快川を大導師に、嫡男の勝頼を喪主として信玄の葬儀が行われました(「天正玄公仏事法語」)。

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天正10年(1582年)4月3日、甲州征伐で武田氏が滅亡した後に恵林寺に逃げ込んだ六角義弼の引渡しを寺側が拒否したため、織田信忠の派遣した津田元嘉・長谷川与次・関成重・赤座永兼らによって焼き討ちにあってしまいます。
この際、快川紹喜が燃え盛る三門の上で「安禅必ずしも山水を須いず、心頭を滅却すれば火も自ら涼し」と偈を発して快川紹喜は焼死したといわれ、後代には快川の遺喝として廣く知られ、再建・改築された三門の両側にも、この偈が扁額として掲げられているのです。

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信長横死後に甲斐を領した徳川家康により、天正の織田勢焼き討ちを逃れ、那須の雲巌寺に遁れ潜んでいた末宗瑞曷を招き再建されます。また、江戸幕府の将軍徳川綱吉時代に側用人であり、晩年に甲府城の城主となった柳沢吉保の墓所にもなっているので有名です。


では、伽藍のご紹介を。
明治38年(1905年)の出火で焼失した後、再建したものもありますが(本堂・庫裡)、桃山様式の四脚門(国の重要文化財)や、夢窓作といわれる庭園(国指定の名勝)があります。

次回はそんな境内を詳しくご紹介します。


山梨観光 12 塩沢寺 [寺社仏閣]

湯村温泉は1200年前に弘法大師が開湯したと言われている古い交付の温泉郷です。
信玄公のかくし湯の筆頭としてしられ、葛飾北斎の「勝景奇覧 甲州湯村」に描かれました。
そんな温泉郷の中心部に鎮座している寺院がこれからご紹介する塩沢寺。大きな寺ではないですが風情があります。ではでは。

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塩沢寺は山梨県甲府市にある真言宗智山派の寺院で、山号は福田山。
毎年2月13日正午より、翌14日午後2時まで行われる厄除け地蔵尊大祭で知られており、地元では厄地蔵さんの名で親しまれています。
大祭の両日は昼夜を問わず大勢の参拝客で賑わうそうです。

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【国重要文化財:地蔵堂】昭和24年に登録。
桁行4間、梁間3間の寄棟造りで、柱は全て円柱を使用しています。
屋根は現在茅葺型銅版葺の建築で、斗栱や木鼻彫刻など細部手法や全体構造から室町時代末期の建造物と推定されているそうです。

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【西堂】

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山梨観光 11 東光寺 [寺社仏閣]


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東光寺は山梨県甲府市東光寺にある寺院で、山号は法蓋山。
臨済宗妙心寺派で、本尊は薬師如来。甲府五山のひとつでもあります。この寺院では面白い出会いがありました。
庫裏入り口で御用の方は【撞鐘を】と書いてあったので鳴らしました。
・・・
出てきません。
また鳴らしたのですが、やはり出てきません。ここまで来て引き下がるものかと思い強めに鐘を鳴らすと、遠くからスタスタスタ・・・と歩く音が聞こえて来ました。
すると、住職の奥様が出て来ました。
で、一言目
「申し訳ありませんでした、猫ちゃんが勝手に上がってきたので・・・・」と。で、拝観料を渡そうとすると、お金を見て「はて?何でしょう・・・、あぁ、はいはい」と言って、受け取ってくれました。
で、これから庭や庫裏を観て廻ろうと思った矢先の一言。
「もう一回りしました?」

ええええええぇ! これはコントですか?と思いました。
「これからです、流石に誰もいらっしゃらなかったので・・・・」
『あぁ、そうなんですか。では、こちらから・・・・』と言って、庭へ案内してくれました。

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【山梨県指定名勝:庭園】
本堂と庫裏背後の山畔斜面を利用した庭園。斜面には石組、平坦地は池となっている。寺伝では蘭渓道隆の作庭とされる池泉鑑賞式庭園。
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ここから、奥様の長い歴史話が始まりました。
時はさかのぼる事鎌倉時代・・・・、室町時代、江戸時代、と続きます。独りで聞くには至難の業で、一緒に行っていた従兄弟と交代。それから明治、大正、昭和、戦後、と続き、また僕が相手役に。
そして、話はNHKの大河ドラマ『武田信玄』の時代まで進みました。そして、財を擲って、この庫裏を建立したこと。更に話は続来ます。
近年放送された『風林火山』では、観光客が不発に終わった事。(※諏訪付近が大賑わいだったとか・・・)

そろそろ時間も時間だったので、話をそらそうと僕がこの火鉢のようなものを褒めちゃいました。これが運の尽き。
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この火鉢のようなものから、家族構成にまで話は膨れ上がりましたが、何とか話も終了。
いやぁ、嫌ではなかったですよ、面白かったですから!!

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で、一番この寺院での注目はこれ。
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【仏殿:国重要文化財】 昭和2年4月25日指定
室町時代後期の仏殿で、本尊の薬師如来像や十二神将像が安置されており、薬師堂とも呼ばれています。
県内では清白寺(国宝、山梨市)や最恩寺(南部町)の仏殿と並ぶ檜皮葺きの禅宗様仏殿で、入母屋造、一重裳階(もこし)付きで、各部の意匠は簡略化されています。
1956年に解体修理が行われているという貴重な文化財です。そう、甲府市内の大火でもこの建物だけは難を逃れたそうです。
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【鐘楼】

やはり仏殿は重要文化財にもなると迫力が違いますね。拝観して良かった良かった。
次回は温泉街の寺院になります。

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山梨観光 10 甲府善光寺 [寺社仏閣]

甲府市内で最初に向かったお寺さんは甲府善光寺でした。
前からデカい寺だなぁとは思っていたのです。
機会が無かったし既に秘仏の御開帳は5月に終わっていたのですが、良い機会だったので伺いしました。
では、そんな善光寺をご紹介しましょう。

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【国重要文化財:山門】
山門 附:棟札1枚 棟札によれば明和4年(1767年)の上棟。本堂とともに焼失したがのちに再建され現在のものは桁行およそ17メートル、梁間およそ7メートル、棟高およそ15メートル。門の両脇には未完成の金剛力士(仁王)像が祀られています。
昭和30年(1955年)6月22日に重要文化財に指定されました。

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【金剛力士像】未完成とはいえ、僕的にはかなりお気に入りの金剛力士像です(^^)

甲斐善光寺は、山梨県甲府市善光寺にある浄土宗の寺院で、山号は定額山。
正式名称は定額山浄智院善光寺。
長野県長野市にある善光寺をはじめとする各地の善光寺と区別するため甲斐善光寺と呼ばれることが多く、甲州善光寺、甲斐善光寺とも呼ばれています。

ではその遠くから見ても一目でわかる本堂をご紹介しましょう。

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【本堂:重要文化財】
当初永禄8年(1565年)に完成し桁行およそ50メートル、梁間がおよそ22メートル、高さがおよそ23メートルと信濃善光寺のものとほぼ同じくらいの大きさだったらしいのですが宝暦4年(1754年)2月の火災によって失われ、現在の本堂は寛政8年(1796年)8月に再建されたものだそうです。寛政8年の再建は明和3年(1766年)まで30年を要しました。
善光寺に特有の撞木造で、桁行がおよそ38メートル、梁間はおよそ23メートル、高さが26メートルと最初のものに比べると規模は小さくなっていますが、それでも東日本においては最大級とも言われる木造建築物だそうです。
昭和30年(1955年)6月22日に重要文化財に指定されました。そりゃ、遠くから見ても一発で分かる訳だ。

本堂の仏像が設置してある段の下を拝観出来るのですが、ここが真っ暗でした。で、出て来て信じられない事が!!
なんと、あの暗がりを好むゴ〇〇〇を踏んだらしく、足の裏にヘバリ付いてました!!
[どんっ(衝撃)][どんっ(衝撃)][どんっ(衝撃)][どんっ(衝撃)][どんっ(衝撃)]
ショックすぎる思い出です。靴下は直ぐに履き替えました。真夏だったけど、靴下履いてて良かった。
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この甲斐善光寺は他にも文化財が多く所蔵されています。

現在の本尊は銅造阿弥陀三尊像である。これはかつての本尊の前立像であったが、この本尊が信濃善光寺に再度移されるにあたって新しく本尊とされたと伝わり、昭和48年(1973年)6月6日に重要文化財に指定された。秘仏であるが平成9年(1997年)からは7年毎に開帳が行われることとなり、2006年には山梨県笛吹市の山梨県立博物館においてシンボル展「重要文化財善光寺阿弥陀三尊像」が開催された。これに際して同博物館の考古学や保存科学、美術史を専門とする学芸員の共同研究により像の調査が行われた。エックス線撮影装置を用いた非破壊検査により両侍像内の足元付近に納入物が発見された。納入物は円盤状の形状から和鏡と判明し、画像分析により観音菩薩立像内の和鏡は「秋草双鳥鏡」、勢至菩薩立像内の和鏡は「水草流水双鳥鏡」と判断された。双方とも直径8cm前後と推定され、鏡背の中心には紐を通すための鈕があり、平安時代後期の様式が認められている。
重要文化財としてはそのほかに、文禄年間に当地を治めていた浅野長政が、それぞれ現在の甲府市中心部の光増寺と現在の韮崎市の大仏堂から移したものと伝わる木造阿弥陀三尊像2組がある。これらは明治39年(1906年)、重要文化財(当時の国宝)に指定されている。
当寺は以上のほかに山梨県指定文化財4件、甲府市指定文化財8件を含む多数の文化財を所有している。これらの文化財の一部は境内に昭和57年(1982年)に建てられた宝物館で公開されている。

【重要文化財(国指定)】

本堂 附:厨子1基・棟札2枚 棟札によれば寛政元年(1789年)の上棟。竣工は寛政8年(1796年)と伝える。
山門 附:棟札1枚 棟札によれば明和4年(1767年)の上棟
銅造阿弥陀如来及両脇侍立像:建久6年(1195年)銘
木造阿弥陀如来及両脇侍像:12世紀前半
木造阿弥陀如来及両脇侍像:12世紀前半

【山梨県指定有形文化財】

木造源頼朝坐像:胎内背面に文保3年(1319年)墨書銘あり、最古の頼朝像
絹本著色浄土曼荼羅図 一幅:鎌倉時代製作
絹本著色善光寺如来絵伝 二幅 -
室町時代(15世紀後半代)の善光寺如来絵伝。法量は第一幅が縦146.5センチメートル、横81.5センチメートル。第二幅が縦145.8センチメートル、横82.0センチメートル。両幅裏には元和3年(1617年)に徳川忠長を檀主として補修が行われた修理銘がある。平安時代に成立し、鎌倉期から作例が見られる善光寺縁起の縁起絵。二幅の大画面が霞で6-7段に区分され、各幅20場面前後の事績が画面上部から順に描かれている。戦国期の移転に際して信濃からもたらされたものであると考えられており、善光寺境内や如来像が描かれていない点から、一幅が欠損している可能性が指摘されている。なお、甲斐善光寺には近世期の善光寺如来絵伝も伝来している。
銅鐘:正和2年(1313年)鋳造

【甲府市指定文化財】

木造法然上人坐像
室町時代の作か。像高は76.8センチメートル。玉眼嵌入。武田信玄による将来と伝わる。
加藤光泰墓
金堂東北の一角に所在する墓所。文禄2年(1593年)に朝鮮出兵の陣中で死去した甲斐国主加藤光泰の墓所。墓石は江戸時代中期に建立された五輪塔。
木造蓮生法師坐像
室町時代の作か。像高は83.8センチメートル。寄木造。玉眼嵌入。武田信玄による将来と伝わる。蓮生は熊谷直実の法名で、法然に帰依した直実が元久元年(1204年)に鳥羽の阿弥陀像の前で上品往生願書を読んだ際の姿。
木造玄和居士坐像
鎌倉時代の作。像高は89.5センチメートル。寄木造。玉眼嵌入。若い僧の像で、像内墨書から玄和居士像と称されるが、玄和については不明。
木造本田善光坐像
木造本田善光夫人坐像
木造源実朝坐像:鎌倉時代末期作と推定、最古の実朝像
麻布朱地著色地蔵十王図 一幅

だそうです。

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いやぁ、甲府もなかなか奥深い旅になりそうです。
次回は、ここから車で5分ほどのお寺をご紹介します。


山梨観光 9 赤沢宿 2 [旅行]

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赤沢宿は重要伝統的建造物群保存地区として選定された現在でも、集落へ向かう車道は山肌を這うような見通しの悪い狭い道路しかありません。
大型車はおろか乗用車でさえ擦れ違いが困難でした。まぁ、田舎育ちの僕にはチョチョイノチョイでしたけど(^^)
路線バスは麓にある早川町乗合バスのバス停まで行く必要があり、大人の健常者でさえ徒歩15~20分程度かかる不便さです。

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ちょうど紫陽花が満開でした(※2014.7.20撮影)

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兎に角、小路に入ると道路にも苔が生えているので転げないように慎重に歩かなきゃって感じでした。
いやぁ、行くまでに結構時間はかかりましたけど、行った甲斐がありました。

次回からは、甲府市内の国宝及び重要文化財を所有している寺社仏閣を訪ねて廻ります。




山梨観光 8 赤沢宿 [旅行]

赤沢宿は、山梨県南巨摩郡早川町にある集落です。
日蓮宗の総本山である身延山と同じく日蓮宗の霊山である七面山に参拝する客の宿場として栄えた宿場町で、集落は重要伝統的建造物群保存地区として選定されています。

この場所への目的は重要伝統的建造物保存地区を観に来ました。
僕の実家は宮崎県の美々津町なのですが、その美々津も重要伝統的建造物保存地区に指定されています。

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【重要伝統的建造物保存地区:美々津】

美々津は他県にはない港町を中心にした建造物が残っている事が評価されての指定でしたが、赤沢宿は講中宿を中心とした宿場町が評価されての指定。目的地に着くまで結構ドキドキしてましたが、着くと予想以上に感動しました。
では、そんな赤沢宿をご紹介します。

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ここから結構な距離を走って行きます。そして森を縫うように走って着いた先は
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【赤沢宿:重要伝統的建造物保存地区】
赤沢宿は、山梨県南西部の早川町南部、南アルプスの南東端に位置し、富士川の支流である早川の更に支流、七面山に源をもつ春木川右岸の標高500~600メートルにかけての急斜面山腹に集落を形成している宿場町でした。
東に身延山(標高1148メートル)、春木川をはさんで西に七面山(標高1982メートル)など1000メートル級の山々に囲まれ、後述する身延山から七面山参拝へ向かう参拝ルートの中間に位置していました。
本来このような急斜面の地形の土地に集落が形成されることは少ないが、江戸期に参拝客の増加に伴い講中宿と呼ばれる宿泊施設や参拝に関連した生業が営まれたことによって、他に例を見ない集落形態を作ったのだそうです。

・・・凄いです!!

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風情どころか映画のセットにでも迷い込んだような集落でした。
まだ見所がありましたので、次回まで赤沢宿をご紹介したいと思います。


山梨観光 7 船津胎内樹型 [旅行]

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【世界文化遺産:船津胎内樹型】
1617年に長谷川角行が富士登拝した際、北麓に洞穴を発見し、浅間大神を祀りました。
富士講信者によって1673年には現在の船津胎内樹型が発見され、1892年には新たな「御胎内」として吉田胎内樹型が整備されました。
洞内には木花開耶姫命が祀られています。 

では、お参りしてその中に入ってみましょう。
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入って直ぐ
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狭!!!!!
180cmの僕には狭すぎます。更に母乃胎内まではスパイダーマンの体系になって進んでも無理。匍匐前進しないと無理。
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結局、奥までは進めませんでした。お金を払ったので何となく騙された感が残りましたけど、良い写真は取れたし世界文化遺産にも登録されたので、それは良しとしましょう。

※ちなみに、吉田胎内樹型の内部は一般公開されていません。

今回の旅行の日程に入っていた世界文化遺産の構成遺産として登録された場所は制覇しました。

河口湖
本栖湖
山中湖
西湖
精進湖
富士浅間神社
北口本宮冨士浅間神社
冨士御室浅間神社
船津胎内樹型

計9箇所、登録された構成遺産は合計25箇所なんで、残り16箇所も残っているのですが、それは次回までお預け。この時点で、まだ午前10時。何とハードな予定なんだろう(^^)
次回は、一気に山梨の赤沢宿へと向かいます。




山梨観光 6 河口浅間神社~母ノ白滝 [寺社仏閣]

今回ご紹介するのは2013年に「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」の対象として世界文化遺産に登録された構成遺産の河口浅間神社。

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河口浅間神社は貞観6年(864年)に始まった富士山の噴火鎮祭のために、貞観7年(865年)に浅間神を奉斎したのが始まりと言われています。

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【拝殿及び本殿】
現在の本殿は慶長11年(1606年)の焼失により、翌慶長12年(1607年)に領主・鳥居成次が再建したものだと伝えられています。
一間社流造で、唐破風付の向拝を備えています。
昭和40年(1965年)に解体修理が施されました。富士河口湖町指定有形文化財に指定されています。

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【本殿】
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ここでパンフレットを見てあるものを見つけました。
【母の白滝】なる滝の存在です。

この日は、翌週に迫った町のお祭りの為に掃除に来ていた方に場所を聞きました。
「歩いたら遠いよ」と言われて、車で向かうことに。
田舎の人の直ぐは5分以上はかかるとか言いますが、車で本当に5分以上山道を登って行きます。
途中階段がありましたが、あんな階段を登っていたりなんかしたら、その後の体力は絶対に持たなかったと思います。

で、その先にあったのが
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【母ノ白滝】
本社から三つ峠に至るまでの間にある滝。河口地区にて宿泊した道者が禊を行った場所で、河口浅間神社の社有地でもあります。滝のそばには母の白滝神社が鎮座していました。




山梨観光 5 富士御室浅間神社 [寺社仏閣]

次に向かったのは、これまた世界文化遺産に登録された神社です。
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冨士御室浅間神社は、山梨県南都留郡富士河口湖町にある神社。旧社格は県社で、現在は神社本庁の別表神社。
全国にある浅間神社の一社。旧称小室浅間明神。
境内は本宮と里宮からなる神社で、本宮である山宮は富士山吉田口登山道の二合目に鎮座しています。
この山宮の境内は富士吉田市の中にある富士河口湖町勝山の飛び地であり、富士山山中に最初に勧請された神社とされている。
里宮は河口湖畔の勝山に鎮座しています。

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【国重要文化財:本殿】
現在の本殿は、慶長17年(1612年)に徳川家の家臣の鳥居成次によって建てられたものである。その後4回の大改修を経て昭和48年(1973年)に富士山二合目から里宮に移築されました。
構造は一間社入母屋造り、向拝唐破風造りで、屋根は檜皮葺形銅板葺きであり、桃山時代の特徴を色濃く残す国重要文化財にも指定されています。

道路を挟んだ反対側には
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【随神門】
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【拝殿及び本殿】
共に山梨県の文化財に指定されています。

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又、国の史跡「富士山」に包括された場所にもなります。
次回はまた別の神社をご紹介します。


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