山梨観光 23 番外編 [旅行]

7月の山梨は桃桃桃でした。

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ここで桃は購入!
試食は美味しかったのに、買って帰った桃は美味しくなかった。
でも、気分ですからね!!

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桃の後には、葡萄が待ち構えて熟すのを待っていました。

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ここは多分相模湖付近だったと思います。
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この鉄って感じが良いと思い、車内から撮影!!
そして
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富士山。この旅行で顔を出したのは、この時だけでした。
一瞬の一枚見逃さなくて良かった(^^)


次回の旅行は、先月行った【彩夏の京都】と題してご紹介します。

山梨観光 22 清白寺 [寺社仏閣]

清白寺(せいはくじ)は、山梨県山梨市にある寺院で、宗派は臨済宗妙心寺派、山号は海涌山(かいゆうざん)、本尊は釈迦如来です。

ブドウ畑のど真ん中にある寺院です。
ではでは、最後の文化財をご紹介しましょう。

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甲斐国では元徳2年(1330年)に夢窓疎石により開創された恵林寺や長禅寺(古長禅寺)をはじめ夢窓派による禅宗寺院が創建されていますが、清白寺は正慶2年(1333年)あるいは観応2年(1351年)の創建されました。
『甲斐国志』によれば開基は足利尊氏で、国家安泰戦勝祈願所として創立し、二世住職で夢窓疎石の高弟清渓通徹により開創され、清渓が師の夢窓を開山と位置づけています。
また、貞和5年(1349年)に浄居寺住職の友山が当寺を訪れた際に詠んだ漢詩や絶海中津の漢詩からも夢窓との関係が窺えます。
嘉慶元年(1387年)には鎌倉円覚寺の勧進に奉加しています。室町時代には関東夢窓派の中心寺院となった鎌倉建長寺末だったが、江戸時代初期ごろに妙心寺末となりました。
天和2年(1682年)の火災で仏殿を除きほとんどの堂宇が焼失し、その直後から総門の完成する享保16年(1731年)まで再建工事が行われました。

伽藍の並びは
総門―放生池―三門(鐘楼門)―仏殿―本堂が一直線に並ぶ、禅宗形式に沿った配置となっています。

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【総門】
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【山門(鐘楼門)】
そして
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【仏殿:国宝】
国宝。身舎(もや)組物の墨書銘によれば応永22年(1415年)の建立。入母屋造、檜皮葺小形の方三間裳階(もこし)付形式で、大規模仏殿に用いられる意匠をそのまま小型化した建築であると評される。県内では東光寺や最恩寺に中世禅宗様の仏殿が残り、いずれも関東禅宗様式に属する。

やはり国宝ですね。精密な感じが伺えます。

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【庫裏:国重要文化財】
国の重要文化財。元禄2~6年(1689年~1693年)に再建されたと考えられ、江戸時代中期の禅宗寺院庫裏として貴重である。
そして本堂があるのですが、あまりにも生活観が出ていたので今回は割愛します。

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【庫裏】

いやぁ、最後に国宝とは・・・って感じでしょ。何と山梨県での国宝建造物はここの仏殿と大善寺の仏殿の二つのみなんです。
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(大善寺※2012年7月撮影)
これで山梨県の国宝は制覇しました(^^)

明日からは番外編で、移動中やホテルをご紹介します。


山梨観光 21 甘草屋敷 (旧高野家住宅) [旅行]

甘草屋敷)は、山梨県甲州市塩山上於曽(かみおぞ)にある江戸時代後期に建築された民家で、国の重要文化財に指定されている。
重要文化財指定名称は旧高野家住宅になっています。

塩山駅すぐ前にある施設です。ではでは、ご紹介しましょう。


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【主屋:国重要文化財】
高野家はこの地で長百姓(おさびゃくしょう)を務めた家柄で、代々伊兵衛を名乗り、幕末には名主として苗字帯刀が許されていました。
高野家は江戸幕府に納める甘草を栽培していたことから、甘草屋敷と呼ばれています。
高野家住宅の主屋は、切妻屋根の前面上部に2段の突き上げ屋根を設けた甲州民家と呼ばれるこの地方特有の建築物。
江戸時代後期の建築で、蔵などの付属建物や宅地も含め、重要文化財に指定されています。

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【巽蔵:国重要文化財】
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【馬屋:国重要文化財】
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【東門:国重要文化財】
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【文庫蔵:国重要文化財】

高野家は江戸時代初期頃より薬草である甘草の栽培を始め、八代将軍徳川吉宗治世の享保5年(1720年)、徳川幕府の採薬師であった丹羽正伯により同屋敷内の甘草を検分され、その結果幕府御用として栽培と管理が命ぜられていました。
一反十九歩の甘草園は年貢諸役を免除され、その後同家が栽培する甘草は、幕府官営の小石川御薬園で栽培するための補給源となり、また薬種として幕府へ上納を行ったそうです。
これらの経緯により高野家は古くから「甘草屋敷」と呼ばれてきたそうです。

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1953年(昭和28年)3月31日に、主屋が国の重要文化財の指定を受けましたが、所有者が実際に居住しており長らく一般公開はされいませんでした。
1993年(平成5年)所有者より当時の塩山市に寄附され、同市により住宅とその周囲が整備され一般公開されました。
その後1996年(平成8年)7月9日には敷地内の付属建物5棟(巽蔵、馬屋、東門、文庫蔵、小屋)ならびに宅地が国の重要文化財に追加指定されました。なお、日本の民家建築が多数重要文化財に指定されるようになるのは1960年代以降のことで、1953年指定の当住宅は、指定年度の古いものの1つである。
主屋は切妻造の茅葺型銅板葺で、切妻屋根の前面上部に2段の突き上げ屋根を設けた一重三階、桁行13間半(24.8メートル)、梁間6間(10.9メートル)の建物で、江戸時代後期の建築物です。
建物内部は三階構造になっており、上層階は甘草の乾燥に用いられた。上層階を設け、採光と通風のための突き上げ屋根を設けた形は、かつてこの地方で盛んに行われていた養蚕に使用された建築形式を受け継いだものです。
蔵などの付属建物は、居室等に改造されていたが、塩山市への寄附後、旧状に復元されていて、高野家住宅は、主屋とともに、付属建物、庭園、石垣などを含む屋敷構えが良好に保存され、文化遺産としての価値が高い。

いやぁ、こちらのような建造物も初めて見ました!!
次回は、いよいよ本編としては最終回の国宝清白寺仏殿をご紹介します。

もう少しだけお付き合いください(^^)



山梨観光 20 雲峰寺 [寺社仏閣]

大菩薩嶺から下って来るとあるのがこの寺院になります。
雲峰寺は、山梨県甲州市塩山上荻原にある寺院で、臨済宗妙心寺派の寺院。
本尊は十一面観音像(裂石観音)。山号は裂石山。

ではご紹介していきます。
さいしょから風情のある石段が続きます。
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その途中に多くの石仏が並んでいますが、その中でも
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この2体は愛らしい石仏でした。
そして
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【仁王門:国重要文化財】
昭和24年に重要文化財に指定されました。
正面約6.8m、側面3.6m。一戸三間八脚門単層屋根入母屋造りの茅葺です。198段の石段の途中にあり、二体の仁王像が安置されております。

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【鐘楼】

甲府盆地東部を流れる笛吹川支流の重川上流部、青梅往還を大菩薩峠へ向かう登山道沿いに立地するこの雲峰寺、寺伝によれば、もとは真言宗もしくは天台宗寺院で、天平17年(745年)に行基が大石が裂け一夜にして生えた萩木から本尊の十一面観音を彫刻し、開山したと伝えられています。

室町時代には恵林寺住職の絶海中津が観音堂改修の浄財勧募を行っており(『絶海録』)この頃には恵林寺末寺として臨済宗に改修していたものと考えられています。戦国期には甲府(甲府市)が甲斐守護武田氏の本拠となりますが、雲峰寺は甲府の鬼門に位置するため、『甲斐国志』に拠れば武田氏の祈願所となっていたと伝えられています。

そしてこの観音様の顔が浅田真央に見えるのは僕だけでしょうか・・・
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【本堂:重要文化財】
昭和24年に重要文化財に指定されました。
正面約12m、側面11mの単層入母屋造の檜皮葺の建物で、四面に縁を巡らし全ての柱は円柱を使用。

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【庫裏:重要文化財】
正面10.9m、側面18mの単層屋根切妻造り茅葺きの大建築です。

他にも書院が重要文化財に指定されています、拝観出来ませんでしたので内容だけでご了承ください!!
【書院】
昭和24年に重要文化財に指定されています。
正面14.5m、側面9mの単層寄棟造り茅葺で、周囲に濡れ縁(ぬれえん)を付して正面内部は広い廊下となっており、外周りは明障子(あかりしょうじ:光を通す障子のこと)を立ててあります。
内部は上段の間(床違棚、書院付)他は6室で、柱は面がとられ天上は猿頬天上、室の境は菱格子を立て、落ち着いた雰囲気を持っています。
(※雲峰寺のホームページネットより抜粋)

黒澤明監督の映画【影武者】のロケ地になったことでも有名な寺院です。

天文年間に火災に遭い、紹謹禅師の尽力と甲斐守護武田信虎・晴信(信玄)の支援により復興されたそうです(「雲峰寺文書」)。
永禄元年(1558年)9月25日に晴信は住職芳書記室に武運長久祈願を命じています。
天正10年(1582年)に武田勝頼が一族とともに天目山の戦いで滅亡した時、武田家の家宝である 「日の丸の御旗」 「孫子の旗」 「諏訪神号旗」 などを山伝いに運んだといわれ、寺宝として保存され現在も宝物殿 で見ることができます。

大菩薩嶺に登山に行った際には是非行かれてみて下さい。

山梨観光 19 大菩薩嶺 2 [登山]

大菩薩嶺の2回目。
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大菩薩嶺の山頂から賽の河原への風景になります。
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大菩薩峠。
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ここから先はまた山の中へと入って行きます。
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苔生した岩がゴロゴロと・・・・
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山は良いものですね(^^)
今回の山も体調も良く軽快に登ることが出来ました。ただハイカットの靴が痛くて痛くて・・・。
次回の山登りは【美ヶ原】になります。
明日は、今回の山梨観光で一番行きたかった寺院のひとつです。

非常に良かったので、次回お楽しみに(^^)


















山梨観光 18 大菩薩嶺登山 [登山]

山梨観光2日目は日本百名山の【大菩薩嶺】登山がメインになります。

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一応午後には別の予定も入っているうえ、駐車場が確保できず途中の長兵衛ロッジからの登山になりました。

ではでは。
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歩くこと20分くらいで到着。
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昔【福ちゃん荘事件:大菩薩峠事件】のあった場所です。

では、ここからが本番って感じでしょうね。
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で歩くこと1時間くらいでした。
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山頂に到着。しかしこの山頂は見晴らしは全く良くありません。
山頂付近に差し掛かる前で現れる森林限界辺りがスポットになります。
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次回は山頂から下山の様子をご紹介します。












山梨観光 17 武田神社 [寺社仏閣]

武田神社は以前も何度かご紹介しているので、今回は軽くご紹介します。
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武田神社(たけだじんじゃ)は、山梨県甲府市古府中町にある神社。
躑躅ヶ崎館の跡地(武田氏館跡)に建てられており、武田信玄を祭神としています。
旧社格は県社。
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【拝殿】

甲府市内でも有数の観光スポットって事もあり、夕方4時頃でも沢山の人が来ていました。
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【甲陽武能殿】
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【名水、姫の井戸:水琴屈】

まぁ、こんな感じでしょうか。他に見所はそうありません。ってか、この神社は好きじゃないのですよ。何でしょうね、お高くとまった感じ?とでも言いましょうか。
前回参拝した時に御朱印をお願いした時の事。
もうやる気のないジジイが出て来て、「はい!」と早く渡せと言わんばかりに不機嫌そうに言われました。
しかも戻ってきた御朱印帳の文字が下手という訳ではなく、雑極まりない感じ。たかが奉納と書いているだけなのに、その文字さえ雑なんです。朱印は滲んでいるしで最悪でした。
思わず「何なのこれ?」というと、そのジジイは言いました。
「はい、次」って・・・。

はぁ?でしょ。
御朱印とは言ってもたかが300円ですよ。されど300円。
しかも「はい、300円」と言われました。普通「では300円お納め下さい」とかいうのが礼儀でしょ。駄菓子屋か!?と思いました。それも神に仕える人達の心意気がこんなもんなんだとは甚だ可笑しいっていうか腹立たしい気分になりました。
たぶん、この神社で同じ気持ちになった人は数多くいると思います。次に御朱印をもらった人も見て笑っていました。
本当に酷いというか切ない出来事でした。
それ以来、この神社は嫌いなのですが、前回の写真はまあり巧く撮れていなかったので今回伺う事にしました。
で、ここから程近い場所に宿を取りましたので、次回はそのホテルをご紹介します。



今後の予定。 [ひとり言]

今日はこれから旅行なんです(^^)
テーマは【中部地方の宿場町巡りと美ヶ原登山】
今回の旅の組み立ては従兄弟がしましたので、詳しくは聞いていません。
ただ毎度の事ながらかなりハードになりそうです。
<大まかな予定>
初日に妻籠宿、奈良井塾、落合宿を歩きとバスで移動するそうです。移動距離、歩行距離が恐ろしくて聞けません(^^;)
二日目は車で美ヶ原に向かい往復4時間の登山をして、午後は観光をするそうです。そしていつもの如く車を返して、特急あずさで帰る感じになりそうです。

そしてこれからの予定。
10月の連休は姉妹が上京してきて、ユーミンの舞台や小西?さんのライブに行き、鎌倉観光にも行きます。
11月の連休は両親が初めて僕のマンションに出てくるので、箱根と鎌倉の紅葉、それに東京スカイツリーや夜景でも連れて行こうかと思案中なんです。
12月は忙しくなりそうだし、年末年始の休みは滋賀県の多くの重要文化財と国宝それに城廻りに費やそうかと計画中なんです。出来れば奈良や京都にも行きたいかと・・・(^^)
1月からは休みはほとんど引越し先を探す為に不動産を回り、その準備を始めないと・・・。
2月は仕事も忙しい思うし、引越し先の決定をする感じ。姪っ子の引越しの手伝いもして、3月は自分の引越し。

と結構、予定がびっしりなんですよ。
しかも他にも検討中の事があるのです。

※時間が余れば鎌倉や江ノ島周辺、箱根なんかを網羅したい。
※都内はもちろん、関東圏内の重要文化財や史跡などは回りたい。
※北海道の東半分を廻りたい。
※百名山や近場の山の登山を制覇し、屋久島や知床などの世界自然遺産地域のハイキングもしたい。
※ブログは極力新鮮なネタをUPしたい。
※ジムにも極力顔を出したい。
※出来ればパチンコもしたい(^^)
※現在執筆中の本も完成させたい。
※現在製作中の自社仏閣を中心とした全国のホームページを完成させたい。
※京都、奈良の有名所の自社仏閣を制覇したい。
※世界文化遺産に登録されている場所を制覇したい。
※棚田百選、重要的建造物群保存地区も制覇したい。
※国内の国宝、重要文化財の建造物を制覇したい。
※後、撮った写真を全て整理したい。

週一の休みは何処かにお出かけしたい気分ですが、体調管理だけはしないと元も子もない(^^)。
って、どんだけ顔を突っ込みたがるんだって感じですよね(^^)
自分でも呆れてしまいます。
しかし休みは無駄にしたくないし、何処に行って何かを知ればその分知識になるので、出かけるのは嫌いではないのです。
しかし家にいて、のんびり映画やCATVを見るのも大好きなんですよ。

まぁ、取り敢えずは今日からの旅行に挑みます。皆さんも良き連休をお過ごし下さい(^^)
ではでは!!





山梨観光 16 放光寺 2 [寺社仏閣]

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前回からご紹介している放光寺は縁結びでも全国的に有名な寺院さんです。
それもそのはず。この寺院に安置されています【木造愛染明王坐像】は国の重要文化財なんです。
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【木造愛染明王坐像(御前立様)】
愛染明王は真言宗の奥儀である「煩脳即菩提」を示す仏様だそうです。
縁結び、恋愛成就にご利益のある仏様ですが、男女の縁はもちろん、皆様方の様々なご縁、人とのご縁、社会とのご縁、仕事とのご縁、学校とのご縁など、ありとあらゆるご縁が吉祥に結ばれるご利益をお授けくださるそうです。
その本像はというと隣のお堂に大切に安置されていました。
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【木造愛染明王坐像:国重要文化財】
平安時代の作で、木造彩色、像高89.4cm。忿怒相で弓矢を天に向ける「天弓愛染」と称される形式の像で、浅い衣紋線などに平安時代末期の特色が現れている。山梨県立博物館には本像のレプリカが常設展示されている程に貴重な愛染明王坐像で、天弓愛染明王坐像として日本最古の物になります。
※全体像は避けます。

他にも重要文化財がありますが、もうひとつだけご紹介します。
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【木造大日如来坐像:国重要文化財】
当寺院の本尊で、宝冠をかぶった金剛界の大日如来像で、木像漆箔。
像高は95.4センチメートル。右足を上にして結跏趺坐し智拳印を結ぶ。
作風から平安時代末期の円派の作と推定され、像立は創建以前に推定されています。立派な大日如来坐像様でした。
※全体像は避けます。

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建物の配置をみますと禅宗寺院の影響を受けたことがうかがえる配置構成になっています。
本堂を拝すると御所造り風にも見え、整った伽藍配置です。
また當山は江戸時代延宝年間(1673~1681)に山城国総本山醍醐寺報恩院末となり、京都嵯峨御所大覚寺とも法縁を結び院家にも加えられました。明治27年に至って学山で名高い真言宗智山派総本山智積院へ転末して現在に至っているそうです。

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また、放光寺には嘉永5年(1852年)に浄土宗の僧鵜飼徹定により模写が行われた法隆寺金堂壁画(法隆寺金堂壁画阿弥陀浄土図模写」が所蔵されています。
徹定は嘉永5年に法隆寺古写経の調査を行い、阿弥陀浄土図の模写を行っている(「法隆寺金堂壁画佛像記」)。
放光寺所蔵模写の裏書によれば、徹定は放光寺へ五百羅漢像の寄進を行った塩山出身の幕臣真下晩菘の発願に感銘し、慶応3年(1867年)に放光寺へ模写を寄贈したといいます。放寺寺所蔵の模写は現存する最古の模写として注目されており、敷き写しの手法により原画の欠損部分も復元して描かれています。

最後に休憩所でおもてなしを受けました。
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落雁のような和菓子でした。味は山形の山寺の麓で購入した【もろこし】に似た味でした。
この寺院も有料で拝観しても決して後悔のない素晴らしい寺院でした。次回は武田神社をご紹介します。




山梨観光 15 放光寺 1 [寺社仏閣]

最初に一言。
お寺の名前「放光寺」を「方光寺」と表示しています。画像に文字を入れてしまった後に気付き・・・。ご勘弁下さい。
実際には【放光寺】になります。※訂正後、再度UPします。
では、そんな失礼なことをしてしまった放光寺のご紹介をしたいと思います。

放光寺は昨日までご紹介していた恵林寺の脇を走る道路の更に奥に位置する、山梨県甲州市塩山藤木にある寺院。山号は高橋山で、真言宗智山派に属します。
本尊は金剛界大日如来。

ではでは。
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【山門】
このような形の山門は初見でしたので感動しました。
そしてその先にあるのが仁王門になります。
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【仁王門】
これもかなり古い物なのでしょう。
そしてこの中に安置されているのが二対の仁王像になります。
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【木造金剛力士像:国重要文化】
仁王門に安置。創建時(1184年頃)の造立と考えられているそうです。
檜材の寄木造彩色像。阿形像の像高は263.0cm、吽形像は264.0cm。頭体幹部は中心線に沿って四材を矧ぐ寄木造とし、内刳りを施してあります。
阿形・吽形両像とも上半身、腕、脚などの筋肉の表現を強調し、腰を外側に引き内側の足を踏み出す典型的な仁王像であるが、鬢髪を束ねて髷を結い、両耳前にもみあげが表現されているところが特色であるカッコイイ力士像にであります。

いやぁ、カッコイイですよね。しかもこの金剛力士像までもが重要文化財だったとは拝観当時はまだ知りませんでした。その日ホテルに着いて、パンフレットを見直した時に気付きました!!
期待してしまいますよ、仁王像が重要文化財だと。
全国にも沢山の仁王門や仁王像は存在しましすが、金剛力士像の重要文化財はそうあるものではないのです。
それが最初に出てくるって事は、この後どのようなモノが待っているのか・・・。
非常に楽しみです。

『甲斐国志』に拠れば、山岳仏教の盛んな平安時代に大菩薩山麓の一ノ瀬高橋に建立されていた天台宗寺院高橋山多聞院法光寺を、寿永3年(1184年)に牧荘や八幡庄に勢力基盤を持った甲斐源氏の安田義定(遠江守)が邸にも近い山梨郡藤木郷へと移転させて創建され、安田氏の菩提寺としたという由緒ある寺院。
開山は賀賢上人だそうです。

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『吾妻鏡』に拠れば、義定は反逆の疑いで建久5年(1194年)8月19日に梟首されていますが、『鎌倉大草紙』に拠れば当寺で自害したともいわれ、所蔵する義定位牌にも「法光大禅定門」と見られます(『国志』)。
建久2年(1191年)に義定が寄進した梵鐘銘に拠ればこの頃には「法光寺」表記であり(『国志』)、「放光寺」表記の初見は戦国期の天文17年(1548年)の寺領証文においても確認出来ます。

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【庫裏:市指定文化財】
庫裏は本堂に向かって右手(東)にあり、玄関で本堂と結ばれています。寺伝によれば慶長年間(1596~1615)の建立と伝えられていて、庫裏の規模は、桁行九間、粱間六間で南側に出入口があります。
屋根は入母屋造、銅板葺(もと茅葺)で妻入りです。当初の古形式を残しながら、寺伝の桃山から江戸初期の遺構を伝えている建造物です。
庫裡の中に2畳の茶室が併没されているが、恐らく元禄期ごろに改築したものと考えられるが、珍しい遺構である事も評価されています。

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では、その境内はどうなっているのでしょうか・・・。
それは次回ご紹介します。次回は重要文化財の仏像も登場しますのでお楽しみに(^^)






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