山梨観光 15 放光寺 1 [寺社仏閣]

最初に一言。
お寺の名前「放光寺」を「方光寺」と表示しています。画像に文字を入れてしまった後に気付き・・・。ご勘弁下さい。
実際には【放光寺】になります。※訂正後、再度UPします。
では、そんな失礼なことをしてしまった放光寺のご紹介をしたいと思います。

放光寺は昨日までご紹介していた恵林寺の脇を走る道路の更に奥に位置する、山梨県甲州市塩山藤木にある寺院。山号は高橋山で、真言宗智山派に属します。
本尊は金剛界大日如来。

ではでは。
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【山門】
このような形の山門は初見でしたので感動しました。
そしてその先にあるのが仁王門になります。
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【仁王門】
これもかなり古い物なのでしょう。
そしてこの中に安置されているのが二対の仁王像になります。
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【木造金剛力士像:国重要文化】
仁王門に安置。創建時(1184年頃)の造立と考えられているそうです。
檜材の寄木造彩色像。阿形像の像高は263.0cm、吽形像は264.0cm。頭体幹部は中心線に沿って四材を矧ぐ寄木造とし、内刳りを施してあります。
阿形・吽形両像とも上半身、腕、脚などの筋肉の表現を強調し、腰を外側に引き内側の足を踏み出す典型的な仁王像であるが、鬢髪を束ねて髷を結い、両耳前にもみあげが表現されているところが特色であるカッコイイ力士像にであります。

いやぁ、カッコイイですよね。しかもこの金剛力士像までもが重要文化財だったとは拝観当時はまだ知りませんでした。その日ホテルに着いて、パンフレットを見直した時に気付きました!!
期待してしまいますよ、仁王像が重要文化財だと。
全国にも沢山の仁王門や仁王像は存在しましすが、金剛力士像の重要文化財はそうあるものではないのです。
それが最初に出てくるって事は、この後どのようなモノが待っているのか・・・。
非常に楽しみです。

『甲斐国志』に拠れば、山岳仏教の盛んな平安時代に大菩薩山麓の一ノ瀬高橋に建立されていた天台宗寺院高橋山多聞院法光寺を、寿永3年(1184年)に牧荘や八幡庄に勢力基盤を持った甲斐源氏の安田義定(遠江守)が邸にも近い山梨郡藤木郷へと移転させて創建され、安田氏の菩提寺としたという由緒ある寺院。
開山は賀賢上人だそうです。

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『吾妻鏡』に拠れば、義定は反逆の疑いで建久5年(1194年)8月19日に梟首されていますが、『鎌倉大草紙』に拠れば当寺で自害したともいわれ、所蔵する義定位牌にも「法光大禅定門」と見られます(『国志』)。
建久2年(1191年)に義定が寄進した梵鐘銘に拠ればこの頃には「法光寺」表記であり(『国志』)、「放光寺」表記の初見は戦国期の天文17年(1548年)の寺領証文においても確認出来ます。

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【庫裏:市指定文化財】
庫裏は本堂に向かって右手(東)にあり、玄関で本堂と結ばれています。寺伝によれば慶長年間(1596~1615)の建立と伝えられていて、庫裏の規模は、桁行九間、粱間六間で南側に出入口があります。
屋根は入母屋造、銅板葺(もと茅葺)で妻入りです。当初の古形式を残しながら、寺伝の桃山から江戸初期の遺構を伝えている建造物です。
庫裡の中に2畳の茶室が併没されているが、恐らく元禄期ごろに改築したものと考えられるが、珍しい遺構である事も評価されています。

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では、その境内はどうなっているのでしょうか・・・。
それは次回ご紹介します。次回は重要文化財の仏像も登場しますのでお楽しみに(^^)






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