山梨観光 10 甲府善光寺 [寺社仏閣]

甲府市内で最初に向かったお寺さんは甲府善光寺でした。
前からデカい寺だなぁとは思っていたのです。
機会が無かったし既に秘仏の御開帳は5月に終わっていたのですが、良い機会だったので伺いしました。
では、そんな善光寺をご紹介しましょう。

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【国重要文化財:山門】
山門 附:棟札1枚 棟札によれば明和4年(1767年)の上棟。本堂とともに焼失したがのちに再建され現在のものは桁行およそ17メートル、梁間およそ7メートル、棟高およそ15メートル。門の両脇には未完成の金剛力士(仁王)像が祀られています。
昭和30年(1955年)6月22日に重要文化財に指定されました。

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【金剛力士像】未完成とはいえ、僕的にはかなりお気に入りの金剛力士像です(^^)

甲斐善光寺は、山梨県甲府市善光寺にある浄土宗の寺院で、山号は定額山。
正式名称は定額山浄智院善光寺。
長野県長野市にある善光寺をはじめとする各地の善光寺と区別するため甲斐善光寺と呼ばれることが多く、甲州善光寺、甲斐善光寺とも呼ばれています。

ではその遠くから見ても一目でわかる本堂をご紹介しましょう。

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【本堂:重要文化財】
当初永禄8年(1565年)に完成し桁行およそ50メートル、梁間がおよそ22メートル、高さがおよそ23メートルと信濃善光寺のものとほぼ同じくらいの大きさだったらしいのですが宝暦4年(1754年)2月の火災によって失われ、現在の本堂は寛政8年(1796年)8月に再建されたものだそうです。寛政8年の再建は明和3年(1766年)まで30年を要しました。
善光寺に特有の撞木造で、桁行がおよそ38メートル、梁間はおよそ23メートル、高さが26メートルと最初のものに比べると規模は小さくなっていますが、それでも東日本においては最大級とも言われる木造建築物だそうです。
昭和30年(1955年)6月22日に重要文化財に指定されました。そりゃ、遠くから見ても一発で分かる訳だ。

本堂の仏像が設置してある段の下を拝観出来るのですが、ここが真っ暗でした。で、出て来て信じられない事が!!
なんと、あの暗がりを好むゴ〇〇〇を踏んだらしく、足の裏にヘバリ付いてました!!
[どんっ(衝撃)][どんっ(衝撃)][どんっ(衝撃)][どんっ(衝撃)][どんっ(衝撃)]
ショックすぎる思い出です。靴下は直ぐに履き替えました。真夏だったけど、靴下履いてて良かった。
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この甲斐善光寺は他にも文化財が多く所蔵されています。

現在の本尊は銅造阿弥陀三尊像である。これはかつての本尊の前立像であったが、この本尊が信濃善光寺に再度移されるにあたって新しく本尊とされたと伝わり、昭和48年(1973年)6月6日に重要文化財に指定された。秘仏であるが平成9年(1997年)からは7年毎に開帳が行われることとなり、2006年には山梨県笛吹市の山梨県立博物館においてシンボル展「重要文化財善光寺阿弥陀三尊像」が開催された。これに際して同博物館の考古学や保存科学、美術史を専門とする学芸員の共同研究により像の調査が行われた。エックス線撮影装置を用いた非破壊検査により両侍像内の足元付近に納入物が発見された。納入物は円盤状の形状から和鏡と判明し、画像分析により観音菩薩立像内の和鏡は「秋草双鳥鏡」、勢至菩薩立像内の和鏡は「水草流水双鳥鏡」と判断された。双方とも直径8cm前後と推定され、鏡背の中心には紐を通すための鈕があり、平安時代後期の様式が認められている。
重要文化財としてはそのほかに、文禄年間に当地を治めていた浅野長政が、それぞれ現在の甲府市中心部の光増寺と現在の韮崎市の大仏堂から移したものと伝わる木造阿弥陀三尊像2組がある。これらは明治39年(1906年)、重要文化財(当時の国宝)に指定されている。
当寺は以上のほかに山梨県指定文化財4件、甲府市指定文化財8件を含む多数の文化財を所有している。これらの文化財の一部は境内に昭和57年(1982年)に建てられた宝物館で公開されている。

【重要文化財(国指定)】

本堂 附:厨子1基・棟札2枚 棟札によれば寛政元年(1789年)の上棟。竣工は寛政8年(1796年)と伝える。
山門 附:棟札1枚 棟札によれば明和4年(1767年)の上棟
銅造阿弥陀如来及両脇侍立像:建久6年(1195年)銘
木造阿弥陀如来及両脇侍像:12世紀前半
木造阿弥陀如来及両脇侍像:12世紀前半

【山梨県指定有形文化財】

木造源頼朝坐像:胎内背面に文保3年(1319年)墨書銘あり、最古の頼朝像
絹本著色浄土曼荼羅図 一幅:鎌倉時代製作
絹本著色善光寺如来絵伝 二幅 -
室町時代(15世紀後半代)の善光寺如来絵伝。法量は第一幅が縦146.5センチメートル、横81.5センチメートル。第二幅が縦145.8センチメートル、横82.0センチメートル。両幅裏には元和3年(1617年)に徳川忠長を檀主として補修が行われた修理銘がある。平安時代に成立し、鎌倉期から作例が見られる善光寺縁起の縁起絵。二幅の大画面が霞で6-7段に区分され、各幅20場面前後の事績が画面上部から順に描かれている。戦国期の移転に際して信濃からもたらされたものであると考えられており、善光寺境内や如来像が描かれていない点から、一幅が欠損している可能性が指摘されている。なお、甲斐善光寺には近世期の善光寺如来絵伝も伝来している。
銅鐘:正和2年(1313年)鋳造

【甲府市指定文化財】

木造法然上人坐像
室町時代の作か。像高は76.8センチメートル。玉眼嵌入。武田信玄による将来と伝わる。
加藤光泰墓
金堂東北の一角に所在する墓所。文禄2年(1593年)に朝鮮出兵の陣中で死去した甲斐国主加藤光泰の墓所。墓石は江戸時代中期に建立された五輪塔。
木造蓮生法師坐像
室町時代の作か。像高は83.8センチメートル。寄木造。玉眼嵌入。武田信玄による将来と伝わる。蓮生は熊谷直実の法名で、法然に帰依した直実が元久元年(1204年)に鳥羽の阿弥陀像の前で上品往生願書を読んだ際の姿。
木造玄和居士坐像
鎌倉時代の作。像高は89.5センチメートル。寄木造。玉眼嵌入。若い僧の像で、像内墨書から玄和居士像と称されるが、玄和については不明。
木造本田善光坐像
木造本田善光夫人坐像
木造源実朝坐像:鎌倉時代末期作と推定、最古の実朝像
麻布朱地著色地蔵十王図 一幅

だそうです。

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いやぁ、甲府もなかなか奥深い旅になりそうです。
次回は、ここから車で5分ほどのお寺をご紹介します。


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