みちのく四大名刹廻廊と出羽三山を巡る旅。 27 毛越寺 2 [寺社仏閣]

前回の続き。
毛越寺は、兎に角広い境内を誇る寺院さんでした。京都の龍安寺や奈良の薬師寺ほどの広さはあったでしょうか。
その建造物が何も残っていないのが本当に残念で仕方がない寺院さんでした。

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仏の世界すなわち浄土を地上に表現したと伝わる浄土庭園・・・。
大泉が池は浄水をたたえ、その周辺には、州浜、荒磯風の水分け、浪返しにあたる立石、橋のたもとをかざる橋引石、枯山水風の築山、遺水などの石組を配し、この景観は平安時代に書かれた日本最古の庭園書である作庭記に基づいて作られてた学術的にも貴重な庭園です。
800有余年を経た現在も、四囲の樹木の景観と相まって、なお変わらぬ美しさを見せていました。

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【開山堂】
毛越寺を開いた慈覚大師円仁をまつる堂です。大師像のほか両界大日如来像、藤原三代(清衡、基衡、秀衡)の画像を安置しています。

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池の東北側にある遣水は、池に水を引き入れるためと造られたものです。「作庭記」に記述されている四神相応・吉相の順流であり、曲がりくねる水路の流れに、水切り、水越し、水分けなどの石組が配されています。毛越寺の遣水は平安時代の唯一の遺構で、全国的にも極めて珍しいものです。この遣水を舞台に毎年新緑の頃に「 曲水(ごくすい)の宴」が開催され、周囲の樹木とあいまって平安の雅な情景が作り出されます。

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【常行堂】
現常行堂は、享保17年(1732)に仙台藩主伊達吉村公の武運長久を願って再建されました。堂は宝形造りで須弥壇中央に本尊・宝冠の阿弥陀如来、両側に四菩薩、奥殿には秘仏としてあがめられている摩多羅神(またらじん)がまつられています。摩多羅神は修法と堂の守護神であり、地元では古くから作物の神様として信仰されています。奥殿の扉はふだんは固く閉ざされ、33年に一度御開帳されます。祭礼の正月20日は、古式の修法と法楽としての延年の舞が奉納されます。

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本当に、広くて優雅な時を感じさせる寺院さんでした。
次回はこの寺院の関連史跡をご紹介します。



みちのく四大名刹廻廊と出羽三山を巡る旅。 26 毛越寺 1 [寺社仏閣]

毛越寺。
みちのく四大名刹廻廊のひとつで、重要な目的地のひとつ。
もちろん世界文化遺産に登録されています。では、2回に分けてご紹介します。

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毛越寺(もうつうじ)は、岩手県西磐井郡平泉町にある天台宗の寺院で、開山は円仁(慈覚大師)と伝えています。現在の本尊は薬師如来、脇侍は日光菩薩・月光菩薩です。
「平泉―仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群―」の一部として世界遺産に登録されており、境内は国の特別史跡、庭園は特別名勝に指定されています。

いよいよ参門を潜って行きます。

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この殴り書きのような境内案内図が今は無き毛越寺の全貌だったようです。

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僕の携帯ではこのように白くなってしまうのですが、この写真はいつも以上に白いと思ったら

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原因はこれでした(^^)。もうモクモクでした!

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【本堂】
毛越寺一山の根本道場であるこの本堂は、平安様式の建物で、平成元年に建立されました。本尊は薬師如来で、平安時代の作です。本尊の脇士は日光・月光両菩薩、さらにその周りには本尊守護の四天王が安置されています。

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この場所で奉納される舞が国指定の重要無形民俗文化財でもある【毛越寺の延年】
法会のあとに催される歌舞を総称して「延年」といいます。毛越寺には「田楽踊」「路舞(ろまい)」「祝詞(のっと)」「老女」「若女禰宜」「花折」「勅使舞」など10数番が伝承されています。また幕末まで「延年の能」も多数残されていましたが廃仏毀釈等で廃れ、近年そのうちの「留鳥」(とどめどり)が復興されています。

そして、この毛越寺で最も有名なのが

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【大泉が池】
庭園の中心は、四季の美しさを映す大泉が池です。池は東西約180メートル、南北約90メートルあり、作庭当初の姿を伝えています。
池のほぼ中央部に東西約70メートル、南北約30メートル、勾玉状の中島があります。池の周辺や中島にはすべて玉石が敷かれています。
昔は南大門前から中島南まで17間の反橋、金堂側から中島北まで10間の斜橋がかかっていたと古記録に記されています。橋の四隅に据えられた橋挟石や南の反橋の橋杭は残存しています。また直径27センチの大面取の橋杭は二本だけ抜き取られて、宝物館に陳列されています。これは橋の遺構としては、わが国最古のものとされます。

次回はこの大泉が池の周辺を散策します。



みちのく四大名刹廻廊と出羽三山を巡る旅。 25 世界文化遺産 金鶏山 [寺社仏閣]

次に向かったのが、金鶏山。
平泉文化遺産センターの裏手にある小さな山です。

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金鶏山(きんけいざん)は、平泉町にある標高 98.6 m の山であり2005年に史跡に指定されました。
金鶏山は奥州藤原氏の都市計画において基準点をなしたと推測されており、山頂の真南には毛越寺境内や幹線道路と直行する道路の端が存在しています。
また、彼岸の時期に無量光院の堂宇を庭園の中島から眺めると、堂宇の背景で金鶏山の山頂と日没が重なるように見ることができたとされ、単なる基準点にとどまらず、西方極楽浄土を想起させる空間設計上も重要な位置を占めたとも考えられています。

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源義経の妻子の墓。ここで確認。
皆さんの中で、義経の奥様は「静御前では?」と思っている人もいらっしゃるかも知れないですが、静御前は妾であり、正室は郷御前でした。その郷御前は平安時代末期、鎌倉時代初期の女性で、武蔵国の豪族、河越重頼の娘だったそうです。頼朝の命により義経に嫁ぎ、頼朝と義経が対立したのちも義経の逃避行に従い、最期を共にした女性とされています。平泉では貴人の妻の敬称である北の方と呼ばれていたそうです。
義経と共に数奇な運命を生きた女性だったのでしょうね。

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本当はこの山に登ってみようかと思ったのですが、平泉文化遺産センターの学芸員さんが「行っても景観も望めないのですが、妻子の墓は非常に重要なものですので、麓までは行かれるべきかと・・・」と案内されましたので、ここで断念。

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また、奥州藤原氏3代秀衡が、宇治の平等院を模して建立した無量光院の西側に一晩で築かせたとの伝説が残っている山でもあり、名称でもある金鶏山は山頂に雄雌一対の金の鶏を埋めたことにちなむと伝えられています。

よし!堀に行きましょう、誰か!

次回は、日本では数例しかない特別史跡と特別名勝の二重指定の場所に行きます。
ちなみに他の二重指定はというと
小石川後楽園、東京都立浜離宮恩賜庭園、一乗谷朝倉氏庭園、鹿苑寺(金閣寺)庭園、慈照寺(銀閣寺)庭園、醍醐寺三宝院庭園、平城京左京三条二坊宮跡庭園、平城宮東院庭園、厳島などになります。(※赤文字は以前ご紹介済み)
国宝と重要文化財などの三重指定だともっと数は減ります。そう考えると次回ご紹介する場所は日本の歴史において非常に大切な場所だと位置付けられますね!!





みちのく四大名刹廻廊と出羽三山を巡る旅。 24 平泉文化遺産センター [寺社仏閣]

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「平泉文化遺産センター」は、世界遺産に登録された資産を含めた“平泉の文化遺産”の魅力を、パネルや映像などでわかりやすく紹介しているガイダンス施設でした。
史跡を訪れる前に見学すれば、より平泉の歴史を理解することが出来た気がします。

拝観料を取っても良いくらい素晴らしい施設でしたよ。皆さんには、先ずこの施設に顔を出して行く事をお勧めします。

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これ以上は撮影禁止でしたので、ご勘弁(^^)
真剣に観覧すると下手すりゃ1時間以上は軽く時間を費やすと思います。















みちのく四大名刹廻廊と出羽三山を巡る旅。 23 世界文化遺産 無量光院跡 [寺社仏閣]

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無量光院跡(むりょうこういんあと)は、岩手県平泉町にある史跡です。無量光院は、藤原秀衡が京都の平等院を模して建立した寺院であったようで、当時は平等院の規模をも上回る煌びやかな寺院であったが、度重なる火災で焼失し、今日では土塁や礎石が残るのみである寂しい空気の漂う史跡。
「平泉―仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群―」の一つとしてユネスコの世界遺産に登録されており、国の特別史跡にも指定されています。

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どうして、ここがそんなに重要なのか。
平安時代末期に奥州一帯(現在の東北地方)に勢力を振るった奥州藤原氏は、初代清衡が中尊寺、二代基衡が毛越寺を造営しました。そして三代秀衡が建立したのが無量光院だそうです。
無量光院は奥州藤原氏の本拠地平泉の中心部に位置し、『吾妻鏡』にも無量光院の近くに奥州藤原氏の政庁・平泉館(現在の柳之御所遺跡と推定される)があったと記載されています。
『吾妻鏡』によれば、無量光院は京都府宇治市の平等院を模して造られ、新御堂(にいみどう)と号した。新御堂とは毛越寺の新院の意味である。発掘調査の結果、四囲は東西約240メートル、南北約270メートル、面積約6.5ヘクタールと推定され、平等院よりも規模が大きかったと推定されています。
本尊は平等院と同じ阿弥陀如来で、地形や建物の配置も平等院を模したとされるが、中堂前に瓦を敷き詰めている点と池に中島がある点が平等院とは異なる。本堂の規模は鳳凰堂とほぼ一致だが、翼廊の長さは一間分長い。建物は全体に東向きに作られ、敷地の西には金鶏山が位置していた。配置は庭園から見ると夕日が本堂の背後の金鶏山へと沈んでいくように設計されており、浄土思想を体現していた。

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こんな感じの建物がこの場所にあったようです。

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次回はこの小高い山の方へと向かいます。
それにしても、いつもこのような史跡などを廻る時、不思議なる事があります。何故、このような重要な建造物が火事に遭うケースが多いのか・・・。

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みちのく四大名刹廻廊と出羽三山を巡る旅。 22 柳之御所遺跡公園他 [旅行]

高舘義経堂から車で3分くらいだったかなぁ・・・・
次に向かった場所が

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柳之御所遺跡資料館と公園

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柳之御所は、奥州藤原氏初代清衡が江刺郡豊田館(奥州市)から磐井郡平泉に移ってきて居館をかまえた所であり、3代秀衡が政庁・平泉館とするため再整備を行ったとされています。
中尊寺の南東に位置し、柳之御所から北西方山上の金色堂を望むように造営されたと考えられているそうです。
文治5年(1189年)、源頼朝の28万余の大軍に攻め込まれた際、藤原泰衡が自ら火を放ち炎上したと伝わっています。
柳之御所の名前は、伽羅御所の名前に対比して後世に名づけられた。
『吾妻鏡』には無量光院の北に館を構え平泉館と称したと記しており、柳之御所の名は無いが、JR平泉駅の北500mのところに柳之御所の字があるので、現在はこの字名をとって柳之御所と呼んでいるそうです。
高館の南東、北上川西岸と猫間が淵に挟まれた標高約25mに立地し、発掘調査の結果、112,000m²ある一帯からは多くの掘立柱建物跡や、巨大な堀、橋、道、園池、屋敷群跡、10トン以上のかわらけ(土器)、中国産陶磁器、常滑産や渥美産の陶器、当時の烏帽子、国内初の発見となる磐前村印、将棋の駒などが出土していて多くが国の重要文化財に指定されています。
現在は、遺跡面積約10ヘクタールのうち約5ヘクタールが柳之御所史跡公園として整備され、池、堀、道路などが復元されている。今後は建物も復元整備される予定である。
南側に柳之御所資料館があり、奥州藤原氏に関する資料や出土した遺物が展示されています。

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2001年に世界遺産登録の前提となる暫定リストに「平泉-浄土思想を基調とする文化的景観」の一部として記載されたのですが、2008年の第32回世界遺産委員会の審議では登録延期が決定しました。
文化庁・岩手県では、ユネスコへの再度の申請を目指し、2011年5月に国際記念物遺跡会議が、平泉の世界遺産への登録を勧告したものの、柳之御所遺跡の除外が条件となったため、同年6月の第35回世界遺産委員会では、勧告通り柳之御所遺跡が除外される形で、「平泉―仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群―」として世界遺産への登録が決定した。
2012年、一関市の骨寺村荘園遺跡、奥州市の白鳥舘遺跡・長者ヶ原廃寺跡、平泉町の達谷窟と共に暫定リストに再び記載されたそうです。

現在は世界遺産に登録されていませんが、そのうち登録されるだろうと見込んで行きました。

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数年後、世界遺産追加登録される事を願いながら、次の世界遺産登録地へ。




みちのく四大名刹廻廊と出羽三山を巡る旅。 21 平泉 高館義経堂 [寺社仏閣]

中尊寺から車で2~3分の場所にある義経所縁の場所に行きました。

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高館義経堂(たかだちぎけいどう)とは、現在の岩手県西磐井郡平泉町高館にあったとされる奥州藤原氏の居館である。源義経の最期の場所として知られる。、衣川館(ころもがわのたち)、判官館(はんがんだて、ほうがんだて)とも呼ばれます。
歩くこと2分くらいでこの階段が出て来ます。

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この館、平泉の北上川と衣川の合流地点より約1キロほど南の丘陵にあり、元々藤原基成の館であったとされます。

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【源義経供養塔】

『吾妻鏡』によれば、義経主従は文治5年閏4月30日(1189年6月15日)に再三にわたる源頼朝の要求に屈した藤原泰衡に襲撃され、妻(郷御前)・子と共に自害したとあります。
館の跡には天和3年(1683年)に仙台藩藩主伊達綱村により義経堂と義経の木像が建立されたそうです。
以降、高館義経堂、判官館などと呼ばれるようになる。

そして元禄2年5月13日(1689年6月29日)に、この場所で松尾芭蕉が詠んだ句が「夏草や 兵共が 夢の跡
あまりに有名ですよね。

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何ともユニークな仁王像様が資料館に安置されていました。

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 源義朝の九男として生まれ、幼名には牛若丸と呼ばれ平治の乱で父が敗死したことにより鞍馬寺に預けられるが、後に奥州平泉へ下り奥州藤原氏の当主・藤原秀衡の庇護を受ける。
 兄・頼朝が平氏打倒の兵を挙げる(治承・寿永の乱)とそれに馳せ参じ、一ノ谷、屋島、壇ノ浦の合戦を経て平氏を滅ぼし、その最大の功労者となった義経。その後、頼朝の許可を得ることなく官位を受けたことや、平氏との戦いにおける独断専行によってその怒りを買い、それに対し自立の動きを見せたため、頼朝と対立し朝敵とされる。 全国に捕縛の命が伝わると難を逃れ再び藤原秀衡を頼ったが秀衡の死後、頼朝の追及を受けた当主・藤原泰衡に攻められここ衣川館で自刃し果てたという義経。

映画やドラマでは源頼朝が悪役に描かれがちですが、兄に朝敵とされるほどですから一長一短だったのでしょうね。それにしても本州の南から北まで駆けるように生き抜いた人生って凄い。景色も雄大で感動しました。

しかし、ここでとんでもない事をしている馬鹿ップルがいました。
この境内の裏でタバコを吸ってました。
普通っていうか、常識的に吸わないでしょう。
面倒だし怒ると無駄な体力も使うから無視しましたが、寺社仏閣を回りだしてこのような非常識な輩は初めて見ました。

まぁ、気分を取り直して次は、この義経を庇護した藤原氏三代の築いた奥州平泉繁栄の基盤にもなったと言われる場所に行きます。



みちのく四大名刹廻廊と出羽三山を巡る旅。 20 平泉文化史館 [寺社仏閣]

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【平泉文化史館】
黄金の仏都・平泉の栄華と伊達時代の平泉を紹介する中尊寺表玄関の資料館です。
東大名誉教授・藤島亥治郎 氏がライフワークとした学術調査に基づき復元した毛越寺、無量光院、二階大堂の模型、出土資料、絵図など数多くの貴重な文化財を展示しております。

という資料館ですが、お客さんは僕だけでした。入館して出るまで僕一人。
結構しっかり作っている資料館ですが、駐車場の上に作られている為、知らない人も多いのかも知れないですね。僕は手持ち無沙汰だったので、見て廻っていると発見した!って感じでしたので!!

では、中をご紹介します。

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ジオラマや中尊寺を描いた絵?などが飾られていました。別の階には

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絵巻風な蝋人形がこの数倍は飾られていましたよ。結構見応えのある資料館でした。
帰りに出口付近で初めて出逢ったのが館員さんで笑顔で会釈されました。
何か凄く得した気分になりました(^^)

次回は、数奇な運命を生きた源義経ゆかりの場所に行きます。

みちのく四大名刹廻廊と出羽三山を巡る旅。 19 世界文化遺産 中尊寺 4 [寺社仏閣]

中尊寺編最終回。

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【弁財天堂】

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【讃衡蔵】
中尊寺ほか山内寺院の文化財を収蔵・展示する施設でした。
1955年に開館したが、現在の建物は開山1150年の2000年に新築されたもので、もと本坊本尊の木造阿弥陀如来坐像 (重文、中尊寺蔵)、峰の薬師堂にあった木造薬師如来坐像 (重文、願成就院蔵)、閼伽堂にあった木造薬師如来坐像 (重文、金色院蔵) の3体の巨像をはじめ、多くの文化財を収蔵展示している、宝物館といった所でしたね。

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【鐘楼】


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【大日堂】

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【薬師堂】

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【不動堂】

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大日堂、不動堂、薬師堂、鐘楼、弁財天堂などを一気にご紹介しました。

世界文化遺産【平泉―仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群】として登録されただけの事はある大規模な寺院さんでした。
国の特別史跡でもある中尊寺、時間があればもう一度行って見たい寺院です。

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駐車場はもちろん全て満車でした。駐車場に戻ろうと思ったときでした。何か気になる場所が目に付き、行って見手ビックリ!

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武蔵坊弁慶の墓があるではないですか!!
こんな場所にあるなんて、一歩間違えると見ないまま帰ってしまいますよ。いやぁ、見落とさなくて良かった良かった。
次回は、ここから直ぐの所にある平泉文化史館をご紹介します。











扁桃腺 [ひとり言]

昨日まで扁桃腺が腫れて会社を休んでしまった。
金曜の夕方、突然発熱してその日は乗り切ったのですが土曜日からキツなり・・・。
土曜日に病院に行くと扁桃腺ですね。とあっさり。
今朝もキツかったが、どうしても今日中の仕事があり体に鞭打って出社。

しかし、不思議なもので仕事を始めるとキツくても出来るようで、日頃の癖ってやつでしょうね。
明日からまたブログを再開したいと思います。



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