みちのく四大名刹廻廊と出羽三山を巡る旅。 22 柳之御所遺跡公園他 [旅行]

高舘義経堂から車で3分くらいだったかなぁ・・・・
次に向かった場所が

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柳之御所遺跡資料館と公園

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柳之御所は、奥州藤原氏初代清衡が江刺郡豊田館(奥州市)から磐井郡平泉に移ってきて居館をかまえた所であり、3代秀衡が政庁・平泉館とするため再整備を行ったとされています。
中尊寺の南東に位置し、柳之御所から北西方山上の金色堂を望むように造営されたと考えられているそうです。
文治5年(1189年)、源頼朝の28万余の大軍に攻め込まれた際、藤原泰衡が自ら火を放ち炎上したと伝わっています。
柳之御所の名前は、伽羅御所の名前に対比して後世に名づけられた。
『吾妻鏡』には無量光院の北に館を構え平泉館と称したと記しており、柳之御所の名は無いが、JR平泉駅の北500mのところに柳之御所の字があるので、現在はこの字名をとって柳之御所と呼んでいるそうです。
高館の南東、北上川西岸と猫間が淵に挟まれた標高約25mに立地し、発掘調査の結果、112,000m²ある一帯からは多くの掘立柱建物跡や、巨大な堀、橋、道、園池、屋敷群跡、10トン以上のかわらけ(土器)、中国産陶磁器、常滑産や渥美産の陶器、当時の烏帽子、国内初の発見となる磐前村印、将棋の駒などが出土していて多くが国の重要文化財に指定されています。
現在は、遺跡面積約10ヘクタールのうち約5ヘクタールが柳之御所史跡公園として整備され、池、堀、道路などが復元されている。今後は建物も復元整備される予定である。
南側に柳之御所資料館があり、奥州藤原氏に関する資料や出土した遺物が展示されています。

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2001年に世界遺産登録の前提となる暫定リストに「平泉-浄土思想を基調とする文化的景観」の一部として記載されたのですが、2008年の第32回世界遺産委員会の審議では登録延期が決定しました。
文化庁・岩手県では、ユネスコへの再度の申請を目指し、2011年5月に国際記念物遺跡会議が、平泉の世界遺産への登録を勧告したものの、柳之御所遺跡の除外が条件となったため、同年6月の第35回世界遺産委員会では、勧告通り柳之御所遺跡が除外される形で、「平泉―仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群―」として世界遺産への登録が決定した。
2012年、一関市の骨寺村荘園遺跡、奥州市の白鳥舘遺跡・長者ヶ原廃寺跡、平泉町の達谷窟と共に暫定リストに再び記載されたそうです。

現在は世界遺産に登録されていませんが、そのうち登録されるだろうと見込んで行きました。

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数年後、世界遺産追加登録される事を願いながら、次の世界遺産登録地へ。




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