みちのく四大名刹廻廊と出羽三山を巡る旅。 35 羽黒山月山羽黒山湯殿山神社 2 [寺社仏閣]

前回の続き。

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橋を渡って右手に見えて来るのが

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【須賀の滝】
江戸時代、当時の天宥別当が遠く月山より8kmの水路をひいて作ったもので不動の滝と名づけられていたそうです。水音や白いしぶきは涼感を誘っていました。が、まだ肌寒い感じでしたね。

その滝から2~3分歩いた所にあるのが

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【爺スギ】
立つ婆杉・爺杉にたどりつく。樹齢1000年といわれ、国の天然記念物に指定されています。
昔は婆杉と並んで羽黒山の名物だったが、婆杉は台風で失われてしまったそうです。

そして、この先に待っているのが

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【国宝:羽黒山五重塔】

平安時代中期の承平年間(931年 - 938年)平将門の創建と伝えられているが定かではないそうです。
現存する塔は、『羽黒山旧記』によれば応安5年(1372年)に羽黒山の別当職大宝寺政氏が再建したと伝えられています。
慶長13年(1608年)には山形藩主最上義光(もがみよしあき)が修理を行ったことが棟札の写しからわかります。
この棟札写しによれば、五重塔は応安2年(1369年)に立柱し、永和3年(1377年)に屋上の相輪を上げたという。
塔は総高約29.2メートル、塔身高(相輪を除く)は22.2メートル。
屋根は杮(こけら)葺き、様式は純和様で、塔身には彩色等を施さない素木の塔である。
明治時代の神仏分離により、神仏習合の形態だった羽黒山は出羽神社(いではじんじゃ)となり、山内の寺院や僧坊はほとんど廃され、取り壊されたが、五重塔は取り壊されずに残された数少ない仏教式建築の1つである。江戸時代は五重塔の周囲には多くの建造物があったそうです。
近世までは塔内に聖観音、軍荼利明王、妙見菩薩を安置されていたそうですが、神仏分離以後は大国主命を祭神として祀り、出羽三山神社の末社「千憑社(せんよりしゃ)」となっています。

凄く価値ある国宝のようです。

と、思っていたのですが、ここからが大変らしいのです。
この先は

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このような階段がずっとずっとず~っと続くそうなのです。行っても良かったのですが、他にも回る場所もあるし、今日中に仙台にも戻らないといけない為、断念。

戻ること

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しかし、戻っても結局階段でした(^^;)。

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極楽への入り口のような隋神門が見えて来ました。ここから一度車に乗って山頂へ向かいます。
有料道路を通ると、その先に出て来ますがそれはまた次回。



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