みちのく四大名刹廻廊と出羽三山を巡る旅。 30 達谷窟毘沙門堂 2 [寺社仏閣]

達谷窟毘沙門堂のつづき。

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【鐘楼】
1615年に建立されたと伝えられているそうです。
「毘沙門堂、鹿島社と共に慶長20年(1615年)の建立と伝える。江戸時代には伊達藩が毘沙門堂と同時に屋根の葺き替えを行っていた事が記録が残る。かつては板葺で120寛(約450kg)の洪鐘を吊っていたが、昭和19年に戦時供出。昭和58年に新鋳した150貫(約563kg)の洪鐘を吊ると共に、屋根を銅板に葺き改めた。今でも五ツ(午前8時、辰刻)、九ツ(正午、午刻)、七ツ(午後4時、申刻)に昔ながらの打鐘で時を報せている。」

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【姫待不動堂】
鐘楼と同じ1615年に建立されたと伝えられています。
「悪路王等は京から攫って来た姫君を窟姫」に閉じ込め、「櫻野」で暫々花見を楽しんだ。逃げようとする姫君を待ち伏せした瀧を人々は「姫待瀧」と呼び、再び逃げ出せぬよう姫君の黒髪を見せしめに切り、その髪を掛けた石を「鬘石」と云う。姫待不動尊は智証大師が達谷西光寺の飛地境内である姫待瀧の本尊として祀ったものを藤原基衡公が再建した。しかし年月を経て堂宇の腐朽が著しい為、寛政元年(1789年)に当地に移された。桂材の一木彫で全国でも希なる大師様不動の大像である。制作年代は平安後期で岩手県有形文化財に指定されている。当地では「火之神様」と呼ばれ、火伏不動尊として信仰される他、眼病を治す御不動尊膝前に祀られる獅子頭は向って右から室町時代、左が江戸時代の作で達谷村の権現舞に使われたものである。」
この不動堂の裏側の軒下に、ムササビモモンガの巣穴がありました。


更に進むと金堂が見えて来ます。

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【金堂】
古くは、講堂とも呼ばれ、延暦二十一年(802年)に達谷川対岸の谷地田に建てられたが延徳二年の大火で消失しました。江戸時代に現在の位置に建てられた客殿が金堂の役割を果たしていましたが、明治初年の廃仏毀釈で破壊されてしまいます。昭和六十二年に再建に着手し平成七年に完成しました。桁行五間梁間六間の大堂で、後世に技を伝える為、昔ながらの工法を用いて建造されています。
本尊は真鏡山上の神木松で刻まれた四尺の薬師如来像になります。

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ここも記憶に残る厳かな寺院さんでした。
何年後かには世界文化遺産に追加登録されると思いますので、行って損はない場所です。

ここまでが、平泉世界文化遺産関係の旅行でした。ここから先まだまだ続きますが、それはまた次回以降に
(^^)。

次回は妙な事が大人気の渓谷をご紹介します。




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