南九州の旅。 国宝青井阿蘇神社 [寺社仏閣]

最初の目的地は青井阿蘇神社。
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青井阿蘇神社は熊本県人吉市にある神社です。
旧社格は県社で、現在は神社本庁の別表神社。地元では親しみを込めて「青井さん」と呼ばれています。

何故この神社に来たかと言うと・・・

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本殿を含む5棟が国宝に指定されているのです。

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【国宝:楼門】
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【国宝:拝殿】
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【国宝:幣殿、本殿、廊】

軒から下を黒漆塗としつつも組物や角材の面取り部分に赤漆を併用する技法や、急勾配な茅葺屋根、壁面の格狭間や木鼻(きばな)等に見られる細部の意匠に中世以来の人吉球磨地方独自の意匠を継承する一方で、鍍金を施した餝金具等の繊細、優美な植物文様といった桃山時代の華麗な装飾性も取り入れたものとなっているようです。
昭和8年(1933年)1月23日に国宝保存法に基づき当時の国宝(いわゆる旧国宝)に指定され、同25年には文化財保護法施行に伴い重要文化財となったのです。
同34年の解体修理で梁木から発見された棟札と銘札5枚は昭和55年に重要文化財の附(つけたり)として追加指定されている。同時期に一連の建造物として統一的意匠を持って造営されたものである点や、地方的様式を継承しつつ桃山様式も採り容れて当地における社寺建築の手本となっている点、南九州地方における近世神社建築へ影響を与えた点が認められ、平成20年(2008年)6月9日付で再び国宝に指定されました。
これは茅葺の社寺建造物としては初の国宝指定であり、また建造物はもとより熊本県に現存する文化財としても初めての国宝指定となったのです。

ちなみ九州に残る国宝建造物は
大分県豊後高田市の貴福寺、宇佐市の宇佐神宮
長崎県長崎市の崇福寺と大浦天主堂
そして、この熊本県人吉市の青井阿蘇神社のみなんです。

殆どが明治維新の廃仏毀釈、その後の西南戦争~第二次世界大戦の戦火の犠牲になりました。

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【白川郷:明善寺 2013.07に撮影】

去年行った世界文化遺産の【白川郷】にも茅葺の寺院がありましたが、ここは県の重要文化財でした。
って事で考えてみても、凄い。
茅葺の社寺仏閣では国内初なんですよ。一度は行って見ても良いと思います!!
絶対に行きたいと去年からブログで口にしていましたが、今回やっと願いが叶った感じ(^^)

次回は、その青井阿蘇神社からほど近くにある寺院です。
全国でも有名なあの掛軸のある寺院さんです。


南九州の旅。 出発 [旅行]

先月の6月15日から4日間、宮崎~熊本~鹿児島へ旅行に行って来ました。
その時の模様を(^^)
まぁ、記事を読んで皆さんの今後の旅行の参考にでもなれば(^^)
ではでは。



今回も格安航空の【ソラシドエア】で羽田から宮崎空港まで。
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いざフライト!!!

機内で撮影が可能になる付近はいつもこの付近。
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そして
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今や世界の富士山!
ここまでなら何とか地理も分りますが、ここから先は雰囲気だけで
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これは当たっているのではないかと・・・
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これは結構お気に入りの一枚!!

宮崎空港に到着して直ぐレンタカーを借り、いざ熊本へ。
前回は阿蘇を中心に回り、その前は熊本市内だったので、今回は南熊本を回りたいと思い一路人吉市へGO。

途中でいつも立ち寄る休憩所が
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のじりこぴあなる施設。何故蛙なのかも知りませんが、来るたびに数が増えているような・・・
近くに道の駅が出来て以来閑散としていて閑古鳥が鳴きまくっていました。
まぁ昔から雰囲気がイマイチだったので仕方のないことかと・・・
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そして、宮崎県内の休憩所に蔓延っていたのが
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こいつ、くまもん・・・ らしきパン。何故くまもん? 熊本県民がふなっしーを使うのと同じことだと思うのは僕だけでしょうか・・・


まぁ、それからも車を走らせ1時間半ほどで到着したのが青井阿蘇神社。
国宝の建造物が5棟もある神社です。

それは次回、じっくりご紹介します。




夏の鎌倉紀行 ⑬ 番外編 [旅行]

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瑞泉寺への歩道にこんな見事な紫陽花が咲いていました。
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この暖簾を見ると本当に食べたくなる・・・。
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最後は小町通の七夕飾りを!

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いやぁこんなに見所のある鎌倉。また近々時間を作って行こう(^^)





夏の鎌倉紀行 ⑫ 番外編 [旅行]

最後は鎌倉の路地などで撮った写真をご紹介します。
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韮の花。
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この花も夏にはよく見かけますが、都心部ではめっきり姿を消しました。
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この形のポストがこ鎌倉には多く残っています。
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アゲハチョウ。
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紫陽花も健在でした。
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次回もこの続きを(^^)











夏の鎌倉紀行 ⑪ 杉本寺 [寺社仏閣]

いよいよ夏の鎌倉編も最終回。
天皇皇后両陛下も拝観に来られていた由緒ある寺院さん。

杉本寺は、神奈川県鎌倉市二階堂にある天台宗の寺院で、山号は大蔵山。
本尊は十一面観音で、坂東三十三箇所・鎌倉三十三箇所の第1番札所である。
鎌倉最古の寺とされています。

では、そんな杉本寺をご紹介しましょう。



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【仁王門】
山門は既に撤去されているのでこの仁王門が最初の門になります。

その先に、このお寺の代名詞でもある苔むした階段があるのですが、この日は工事中で塞がっていました。
残念・・・

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【本堂:県指定文化財】
この本堂の中にある観音様が2体国の重要文化財に指定されています。
お堂の中には天皇皇后両陛下の写真もありました。

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いやぁ、鎌倉は奥深い観光地です。
行けば行くほどに発見があります。
次回は、最後に番外編をご紹介します。




夏の鎌倉紀行 ⑩ 瑞泉寺 2 [寺社仏閣]

瑞泉寺境内。

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地蔵様がお出迎えです。

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【鐘楼】
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【本堂】
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【地蔵堂】

次々に趣のある建造物が出て来ますが、ここのメインはここから。

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この庭が国の史跡に登録されています。

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地蔵堂に見守られながらミツバチ達がせっせと働いてました。



次回は、現在の天皇皇后両陛下が拝観にも訪れた由緒ある寺院をご紹介します。






夏の鎌倉紀行 ⑨ 瑞泉寺 [寺社仏閣]

いよいよ今回もっとも来たかった寺院【瑞泉寺】のご紹介です。

瑞泉寺(ずいせんじ)は、神奈川県鎌倉市二階堂にある臨済宗円覚寺派の寺院で、山号は錦屏山。
本尊は釈迦如来で、開基は二階堂道蘊。
鎌倉のみならず関東でも花の寺として有名で、紅葉の名所としても知られています。
目的は紫陽花と境内。

鎌倉宮の脇をさらに山に向かって歩くこと10分くらいで辿り着く静かな寺。
寺のある一帯は紅葉ヶ谷(もみじがやつ)と呼ばれる谷戸(やと)に位置していて、境内は季節ごとに様々な花で彩られ、梅、つつじ、牡丹、マンサクなど、一年中花の絶えることがない。

特にスイセンが有名な「花の寺」として知られている。本堂裏の庭園は夢窓疎石による岩盤を削って作られた禅宗様庭園で、書院庭園の起源となった。荒廃していたのを後に発掘復元した。また、背後の山頂には徧界一覧亭と呼ばれる景勝地があったが、現在は入ることができない。
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(※去年撮った紅葉が谷の紅葉)
瑞泉寺の総門脇より入る山道は、瑞泉寺の裏山を通って、建長寺、今泉方面へ出ることのできる天園ハイキングコースの一部となっています。
( 去年のハイキング情報 http://transit2012transit.blog.so-net.ne.jp/2013-11-29-2 )

瑞泉寺の裏山では、得宗最後の北条高時の首塚伝説を残す「首やぐら」と呼ばれるやぐら群があるそうです。

鎌倉幕府の重臣であった二階堂道蘊が嘉暦2年(1327年)、夢窓疎石を開山として創建した寺で、当初は瑞泉院と号した。
足利尊氏の四男で初代鎌倉公方の足利基氏は夢窓疎石に帰依して当寺を中興し、寺号を瑞泉寺と改めたらしい。
以後、鎌倉公方足利家の菩提寺となっています。
禅寺として、鎌倉五山に次ぐ十刹(じっせつ)の筆頭格の扱いを受け、以後、夢窓派の拠点として重きをなしたが、公方家4代足利持氏による永享の乱で衰亡した。

瑞泉寺は、文学や学問とゆかりの深い寺で、鎌倉時代には五山文学の拠点として栄え、近世には徳川光圀が自身の鎌倉旅行を『新編鎌倉志』として編纂をさせたといいます。
境内には、久米正雄の墓、高浜虚子、久保田万太郎、吉野秀雄、大宅壮一、山崎方代、吉田松陰などの碑がある。現在の住職は歌人の大下一真だそうです。

境内は「瑞泉寺境内」として1971年(昭和46年)11月8日、国の史跡に指定されました。
庭園および錦屏山上の一覧亭にいたる登坂路は旧態を良好に保存しているという点が評価されました。
伽藍を構成する建造物としては、総門、山門、仏殿、書院、客殿、地蔵堂、開山堂などがあるが、いずれも大正以降の再建であるのが残念。まぁ、それでも十分古いのですがね。

では、そんな【瑞泉寺】をご紹介していきます。


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多分、ここが今年最後の紫陽花かも・・・

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【総門】

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なかなか、雰囲気の良い寺院です。
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いよいよ伽藍の中心部へと入って行きます。


















夏の鎌倉紀行 ⑧ 源頼朝の墓 [寺社仏閣]

すっかり忘れていました。

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白旗神社の先に階段があり、その先に源頼朝の墓があります。

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5月に行った世界遺産【平泉】での義経の正室の墓や、明月院か何処かにあった頼朝の息子の墓などを見ても思うのですが、時の権力者の墓って意外と質素な感じなんだぁと・・・。
それこそ戦国時代になってからは、かなり大袈裟な霊廟なども造られていますけど、何か時の移り変わりを一番感じる事の出来る場所って気がします。

平泉の高館義経堂にあった石碑に刻まれていた芭蕉の句
【 夏草や 兵どもが 夢の跡 】
この墓の前で思わず口に出してしまいました。


次回は遂に瑞泉寺に行きます。

瑞泉寺は、鎌倉を世界文化遺産に推奨するに当たり、大変重要な文化財、史跡でもあります。
鎌倉が世界文化遺産に登録されない最大の理由は、【鎌倉幕府当時の文化財がほとんど残っていない事】。
鎌倉時代の「遺産」は高徳院の鎌倉大仏、そして次回ご紹介する瑞泉寺庭園、切通しなどわずかなものなのです。
その他の文化財のほとんどは室町時代以降に構築されたものか関東大震災以降に再建されたものばかりなのです。
しかも世界文化遺産に推奨するのに大きな影響力があるとされる【当時の国宝建造物】がひとつもないこと。

まぁ、それでも日本でも有数の観光地である鎌倉、年間観光客数はなんと2300万人。
東京などを除く単独の観光地としては京都に次ぐ観光客数なんです。凄い数です。
そう考えると、もう世界遺産に登録しなくてもイイ気もしますけど。。。

まぁ、余談はこれくらいにしてまた次回。





夏の鎌倉紀行 ⑦ 荏柄天神社 [寺社仏閣]

鶴岡八幡宮から歩いて5分~10分で到着するのが
荏柄天神社(えがらてんじんしゃ)は、神奈川県鎌倉市二階堂にある菅原道真を祀る神社。日本三天神の一つ。
ちなみに残りの日本三天神は以前にもご紹介しました
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福岡の太宰府天満宮と
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京都の北野天満宮です。

源頼朝が鎌倉幕府開府にあたり鬼門の方向の守護社として社殿を造営、さらに徳川家康が豊臣秀吉の命で社殿の造営を行ったと言われています。
そんな天神社をご紹介します。

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では階段を上がって行きましょう。

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【本殿:国の重要文化財】
三間社流造、銅板葺き。寛永元年(1624年)に鶴岡八幡宮若宮の旧本殿を譲り受け移築したもの。
若宮旧本殿は正和4年(1315年)の鎌倉大火の後、翌正和5年(1316年)に建立された。記録によれば、中世、近世を通じてたびたび修理が行われているが、社殿全体が再建された記録はない。
移築と度重なる修理を経ているとはいえ、鎌倉地方における中世建築の稀少な遺構の一つ。
関東大震災でも被害を受け、幣殿と拝殿は震災以降の再建。

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絵筆塚
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って、ここで順番が違う事に気付きました。
次回はこの荏柄天神社に向かう前に伺った場所をご紹介します。






夏の鎌倉紀行 ⑥ 鶴岡八幡宮 3  [寺社仏閣]

最後は白旗神社と思わず撮ったものをご紹介します。

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【白旗神社】祭神:源頼朝、源実朝
逸話として豊臣秀吉が小田原征伐の後に参拝したが、その際に祀られていた頼朝像を見て「我と御身は共に微小の身から天下を平らげた。しかし御身は天皇の後胤であり、父祖は関東を従えていた。故に流人の身から挙兵しても多く者が従った。我は氏も系図も無いが天下を取った。御身より我の勝ちなり。しかし御身と我は天下友達なり。」と言うと、笑いながら頼朝像の背中をポンポンと叩いたという。

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もちろん紫陽花も咲いていました。
そして、ここ鶴岡八幡宮で気になったのが、鳩。

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仲の良いことで(^^)

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いやぁ、鶴岡八幡宮を真剣に見て回ったのは初めてかも知れない。
国宝館は閉館でしたが、次回また来てみたいと思います。

次に向かったのが、ここから歩いて10分くらいのところにある寺院さんです。




※ところで皆さんお気付きになりましたか?
鶴岡八幡宮にはいわく付のものがあるのです。

先ほどご紹介したこれ!
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一瞬見たら判りませんが、これ何処かがオカシイ。・・・偽物なのです。ある文字を隠すように上から貼り付けています。

実際には
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こちらの表記方法が正しいのです。

そう、この看板はHITACHIが全国各地の国宝建造物や重要文化財の前に立ててある看板です。
個人的に僕はこの看板が好きで、全国旅した時には見かけた時には必ず撮影します。

しかし、この白旗神社の看板は・・・重要文化財でもなければ国宝でもない物の前に立ててあるのです。
少し前まではこの白旗神社の看板の中央部分には【重要文化財】と記載されていたのです。
それに気付いた市民が八幡宮に差し替えを申し出た結果、この看板のところに【国の史跡】なるものを貼り付けたのです。この看板を立てかけたのが八幡宮側なのかHITACHI側なのかは判らないのですが、何ともいわく付の看板でした。

皆さんも見かけた際には、確認して見てください(^^)。



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