夏の鎌倉紀行 ③ 浄光明寺 [寺社仏閣]

英勝寺の次に向かったのが

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浄光明寺でした。

浄光明寺(じょうこうみょうじ)は、神奈川県鎌倉市扇ガ谷(おうぎがやつ)にある真言宗泉涌寺派の寺院で、山号は泉谷山(せんこくざん)。
開基は北条長時。開山は真阿。本尊は阿弥陀如来です。
北条氏や足利氏とゆかりの深い寺院で、足利尊氏は後醍醐天皇に対し挙兵する直前、当寺に籠っていたと伝える。新四国東国八十八ヶ所霊場八十二番。

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【客殿】

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【庫裏】

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【不動堂】

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この先に階段があり、その先に・・・と思ったら、ここは10時からだそうです。
一度別の寺院を見て、10時に戻って来ました。

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【阿弥陀堂】

で、その隣の収蔵庫には国の重要文化財の仏像が・・・。
何と見れました(^^)。
撮影は禁止でしたので、どのような物だったのかの説明だけ。

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【木造阿弥陀如来及び両脇侍坐像】
正安元年(1299年)の作。三尊とも坐像に作る。阿弥陀如来像は胸前に両手を挙げる説法印を結び、宝冠をいただく。肩、袖、脚部などに見られる浮き彫り状の装飾は「土紋」と称される、鎌倉地方の仏像に特有の技法で、土を型抜きして花などの文様を表したものを貼り付けたものである。両脇侍像(観音菩薩・勢至菩薩)は、結跏趺坐(座禅の形)ではなく足をくずして坐り、中尊の方に頭部をわずかに傾ける。両脇侍像の写実的な衣文表現や、生身の人間のような面相表現には中尊以上に顕著な宋風がみられる。

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更に狭い階段を登っていくと

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浄光明寺境内及び冷泉為相墓
冷泉為相(1263 - 1328)は鎌倉時代の歌人で、藤原定家の孫、阿仏尼の子にあたり、「冷泉家時雨亭文庫」で著名な冷泉家の祖である。墓塔は宝篋印塔で、南北朝時代のもの。従来「冷泉為相墓」として国の史跡に指定されていたが、2007年に境内地が追加指定された。この追加指定は、上述の「浄光明寺敷地絵図」の再発見により、中世寺院の敷地がよく保存されていることが判明したことによるものである。

しかし、ここはマジマジとは観れませんでした。どこかの大学の仏教サークルか何かの学生さんが大勢で来て、その史蹟の前に座り込んで真剣に勉強していましたので、お邪魔かなぁと・・・、また次の機会にでも来たいと思います。

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いやぁ、ここも素晴らしい寺院さんでした。
鎌倉駅から徒歩20分くらいで着きますので、是非足を運んでみては?

次回ご紹介する場所は、近年では三大八幡宮にも挙げられる有名な場所です。
多くの見所がありますので、2~3回に分けてご紹介します。






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