夏の京都 24 二条城 2 [城郭]

二条城の二の丸御殿唐門から先、本丸櫓門までの6棟の建造物が国宝に指定されています。

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【二の丸御殿遠侍・式台・大広間:国宝】
ここから先は撮影禁止なんで説明だけでご勘弁ください。

二の丸御殿は、東大手門から入って正面の西方に建ちます。
御殿は築地塀で囲まれていて、正門である唐門は塀の南側にあります。それをくぐると正面に二の丸御殿の玄関にあたる「車寄」(くるまよせ)が見えてきます。
二の丸御殿は手前から順に「遠侍」(とおざむらい)、「式台」(しきだい)、「大広間」、「蘇鉄の間」、「黒書院」(くろしょいん)、「白書院」(しろしょいん)と呼ばれる6つの建物が雁行に並び、廊下で接続され一体となっていて、大広間の西側、黒書院の南側に日本庭園が広がっています。
遠侍の北側には「台所」と配膳をするための「御清所」と呼ばれる建物があります。

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【二の丸庭園入り口】
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【 二の丸御殿黒書院:国宝】
この場所で、幕末最大の出来事【大政奉還】が行われたのだと思うと、凄い事ですよね。ここで徳川幕府の権力は失われました。

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ここから先が本丸御殿になります。

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【本丸櫓門:国重要文化財】
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(※二の丸庭園は間違いで本丸庭園になります)

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【本丸御殿:国重要文化財】
本丸御殿は御所の北にあった旧桂宮邸を1893年(明治26年)から1894年(明治27年)にかけて移築したもので、徳川家の二条城とは本来無関係の建物です。
過去には春と秋に期間限定で公開されていたが、耐震性の不足が判明したため2007年(平成19年)春を最後に公開を中止して以降、内部は公開されていません。
もともとあった京都御苑内の敷地には、築地塀と表門と勅使門、また庭園や池も現存しています。本丸御殿の南には、洋風庭園があるそうです。

【天守】(※Wikipediaより抜粋)
創建時の天守は、『洛中洛外図屏風』に城の北西部分(現在の清流園の辺り)に望楼型の5重天守として描かれています。
この天守は慶長期に家康によって現在の二ノ丸北西隅に建てられたもので、大和郡山城天守の移築説があります。
記録には小天守や渡廊下の記述があり、天守曲輪を形成していたと考えられています。
この天守は3代家光の時に行われた寛永の大改修時に淀城に再び移築されました。移築された淀城天守は図面が残されているので、慶長度天守の復元は可能であったようです。これに代わり、新たに造られた本丸の南西隅に、前年に一国一城令によって廃城とした伏見城の天守が移築されました。
この寛永期天守は、取付矢倉が付属する層塔型5重5階の天守であったが、1750年(寛延3年)に落雷で焼失して以来、再建されなかったようです。
現在は、天守台のみが残る。天皇が昇った唯一の天守である。幕末には天守台に高層の火の見櫓が建てられていたことが、古写真より分かります。

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【天守からの風景】
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【本丸御殿玄関:国重要文化財】

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【北大手門(附 多門塀(外面東方、外面西方、内面東方、内面西方)):国重要文化財】
と、他にもありましたが今回はこんな感じで。

戦国時代から江戸時代、幕末、明治~現在の日本の中心であった二条城、是非一回は行く価値があると思います。


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