川越観光 【日枝神社~三芳野神社~本丸御殿】  [寺社仏閣]

喜多院の山門の前を走る道路を挟んで反対側にある神社が日枝神社。
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日枝神社は、埼玉県川越市小仙波町の神社。旧社格は県社。
もともと喜多院の境内にあったらしいのですが、県道建設のため大正時代に仙波古墳群という前方後円墳を開削して喜多院門前に移転したそうです。
何とも罰当たりな事を・・・・。
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【国重要文化財:本殿】
本殿は朱塗りの三間社流造、銅板葺で国の重要文化財に指定されている。拝殿は老朽化が深刻だったため、近年、新拝殿が再建された。

円仁(慈覚大師)が喜多院を創建(天長7年・830年)したおりに、その鎮守として貞観2年(860年)に坂本の日吉大社を勧請したものであるといわれている。東京赤坂の日枝神社(旧官幣大社)は、文明10年(1478年)、太田道灌が江戸城築城の際に、この川越日枝神社から分祀したものであるそうです。

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こちらがその古墳らしいです。

で、ここからまた歩きます。

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三芳野神社は、埼玉県川越市郭町の神社。童歌「通りゃんせ」はこの神社の参道が舞台といわれる。川越城築城以前から当地にあったが、太田道真・太田道灌父子による川越城築城により城内の天神曲輪に位置することになった。平成元年(1989年)に大修理が行われ、平成4年(1992年)に完成。埼玉県指定文化財。

なんと、この境内が発祥のものがあります。
それが【童謡:とうりゃんせ】です。
童歌「とおりゃんせ」はこの三芳野神社境内が舞台といわれます。
川越城築城により天神曲輪に位置することになり「お城の天神さま」と呼ばれていたそうです。
城内にあることから一般の参詣ができなくなったそうですが、信仰が篤いことから時間を区切って参詣することが認められました。
しかし、この天神さまにお参りするには川越城の南大手門より入り、田郭門を通り、富士見櫓を左手に見、さらに天神門をくぐり、東に向かう小道を進み、三芳野神社に直進する細道をとおってお参りしなければならなかったそうです。
また、一般の参詣客に紛れて密偵が城内に入り込むことをさけるため、帰りの参詣客は警護の者によって厳しく調べられました。そのことから「行きはよいよい、帰りは怖い……」と川越城内の子女の間で唄われるようになり、それが城下に流れ、武士や僧侶、町人たちによって江戸へ運ばれ、やがて全国へ広まって行ったのだとか。

納得・・・しました。

で、その先にあるのが
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【本丸御殿】
本丸御殿は、1848年(嘉永元年)、松平斉典の17万石時代に建てられた入母屋造りで、豪壮な大唐破風と霧除けのついた間口19間・奥行5間の大玄関・車寄せをもつもの。
36畳の大広間は、板間で玄関と区切られ、さおべり天井で奥行3間の座敷には9尺の廊下が四方を囲っている。建坪は165坪である。
当時は16棟、1025坪の規模をもっていたらしいのですが、明治に入ると廃城令で多くの建物は解体されてしまい、現在残る建物は玄関・大広間部分と家老詰所のみとなっています。
本丸御殿大広間は川越城の他には高知城にしか現存せず、全国的に見ても大変貴重な遺構です。
玄関・大広間部分は入間県県庁、入間郡公会所、更には煙草専売局淀橋支局川越分工場へと転用され、1933年(昭和8年)には川越武道奨励会の修練道場となり、名称も初雁武徳殿に変更、戦後は川越市立第二中学校(現在は初雁中学校)の校舎や屋内運動場として使用されていたが、1967年(昭和42年)、県指定有形文化財に指定されました。
家老詰所については、解体後上福岡市(現:ふじみ野市)の民家に移築されていたのを再度移築したものであり、位置は以前とは異なっているらしい。
こちらも1991年(平成3年)に県指定有形文化財に追加指定されました。そう考えると、県有形文化財にしておくにはちょいと勿体無い代物だと思えてきます。

しかも、ここ川越には江戸城の遺構が一番多く残っているのでも有名なんです。
昨日までご紹介した喜多院は、幕府の庇護が篤く1638年(寛永15年)の川越大火で焼失すると3代将軍徳川家光の命で江戸城の建物が移築されました。客殿には徳川家光誕生の間と言われている部屋があり、家光の乳母春日局の間を含む書院、庫裏も移築されている(全て国の重要文化財)。初期の江戸城の御殿建築と末期の(川越城)御殿建築を比較するうえで両者とも貴重な遺構であると言えるでしょう。
また、明日ご紹介する氷川神社には1637年(寛永14年)に家光が江戸城二の丸に建立した東照宮が移築されている。江戸城内の宗教的建造物としては現存する唯一のものでもあるのです。

そう考えると川越が小江戸と呼ばれても名前負けしない気がしますね。
次回は、先ほどお話した【氷川神社】をご紹介します。



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