川越観光 【喜多院】 2 [寺社仏閣]

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喜多院の奥にあるのが庫裏。
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生憎、中は撮影禁止です。

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慶長4年(1599年)、徳川家の尊崇が厚かった天海僧正が第27世住職として入寺し、寺号を喜多院と改めた。川越藩主となった老中・酒井忠利は喜多院の再興に当たりました。
慶長18年(1613年)には徳川秀忠の関東天台法度により関東天台総本山と定められ、500石の寺領を賜ったそうです。
寛永15年(1638年)、川越大火で山門と経蔵以外の伽藍を焼失するのですが、翌年、徳川家光の命で、江戸城紅葉山御殿の一部を移築しました。
これが今に残る客殿、書院、庫裏であり、これらを運ぶために新河岸川の舟運が開かれた。川越藩主を経て幕閣で老中にあった堀田正盛は喜多院や仙波東照宮再建の奉行を命ぜられ、天海を助けました。
4代将軍・徳川家綱は200石を加増し750石・寺域48,000坪の大寺となり、徳川家に厚く保護され隆盛したそうです。

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家光誕生の間、客殿、春日局御使用の化粧の間など、見所は満載です。江戸城の一部が移築されていると考えると感慨深いものがあります。
次回はそんな喜多院にあるもうひとつの見所をご紹介します。





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