川越観光 【仙波東照宮】  [寺社仏閣]

川越観光の2回目は日本三大東照宮でもある仙波東照宮をご紹介します。そもそも東照宮とは、徳川家初代将軍の徳川家康を祀る神社のことです。
じゃぁ、どうして江戸だった東京近辺ではなく全国各地に散り散りになるのか?

江戸幕府によって建立された日光東照宮や久能山東照宮(静岡県)などをはじめとして、各地の徳川・松平一門大名家、さらには譜代大名や徳川家と縁戚関係がある外様大名家も競って建立しはじめたのです。その数は全国で500社を超える程だったそうです。
当初は東照社、東照大権現などと称していたが、1645年(正保2年)に宮号の宣下があり、以降は東照宮と称するようになったそうです。明治維新以後に廃社や合祀が相次ぎ、現存するのは約130社とされてしまいました。
日光東照宮、久能山東照宮の二社ともう一社をもって日本三大東照宮とする東照宮は多く、仙波東照宮、鳳来山東照宮、滝山東照宮などが最後の一社として名乗っているようでもありますが、私的には日光東照宮と久能山東照宮は別格だと思います。

では、何故ここ川越に東照宮が建立されたのか。
1616年に薨去した祭神の法要は、久能山から日光山に改葬される際の1617年に、江戸幕府の「黒衣の宰相」と称された天台宗の僧侶・天海によって喜多院で行われ、後水尾天皇から東照大権現の勅額が下賜され、同年にその地に天海によって創建されたそうです。
仙波東照宮も東照宮を名乗るだけの事はある素晴らしい建造物でしたので、ご紹介していきます。



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【国重要文化財:随身門】
そもそも随身門とは・・・・、と思われるでしょう。
八脚門の切妻造、とち葺形銅版葺の門で、随身門と仁王門の大きな違いは門左右に安置されているものの違いです。
仁王門は皆さんお馴染みの金剛力士像が奉られていますが、随身門は左右に随身(将軍などの長を警護する者たちの事)を安置している門の事を言います。
「誰、この弓を持った人?」とか思われた人や「あれ?仁王様は?」と思われたら、それは随身門なんだと思われたら結構です。

では境内に入って行きましょう。

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【国重要文化財:石鳥居】
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いよいよ本殿へ。

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【国重要文化財:拝殿、幣殿】
その奥にあるのが
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【国重要文化財:本殿、唐門、瑞垣】

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しかも、この拝殿の中に収められている【三十六歌仙絵額】は岩佐又兵衛筆で知られ国宝。
岩槻藩主の阿部重次が奉納した【鷹絵額十二面】は狩野探幽作で知られています。

過去2回もこの地に来ておきながら、一度も訪れませんでした。
前回なんか隣接する寺院は拝観していたのに、この場所の存在すら知りませんでした。規模こそ先ほど紹介した日光東照宮や久能山東照宮には劣りますが、それでも彫刻などの装飾は素晴らしいもので見て良かったと思います(^^)
川越に行った際には、是非!!

次回はこの東照宮に隣接する寺院をご紹介します。



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