山梨観光 2 世界文化遺産:北口本宮冨士浅間神社 [寺社仏閣]

最初に参拝した神社は
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【世界文化遺産:北口本宮冨士浅間神社】
山梨県富士吉田市上吉田にある神社。旧社格は県社で、現在は神社本庁の別表神社。
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【大鳥居:国内最大級らしい】

延暦7年(788年)に甲斐守である紀豊庭が現在地に社殿を造営したと伝えられています。
中世には同社が所在する郡内地方の領主である小山田氏からの庇護を受けました。社号について、甲斐国の地誌である『甲斐国志』では以下のように記されています。

往古ヨリ此社中ヲ諏方ノ森ト称スルハ、浅間明神勧請セザル以前ヨリ諏方明神鎮座アル故ナリト云、古文書二諏方ノ森浅間明神トアル是ナリ

このように古来より社中に「諏訪の森」が位置し、諏訪神社の鎮座地に浅間神社を勧請したと伝わります。
現在当社は浅間神社であり祭神も木花開耶姫命を主祭神としていますが、当初は諏訪神社であったと考えられています。
例えば天文17年(1548年)5月26日、小山田信有は吉田の諏訪禰宜に富士山神事の際に新宮を建てる場合は披露するように命じています。
このように富士山神事に関わる案件に対しても、諏訪禰宜に宛てがわれている。
永禄4年(1561年)3月2日、武田信玄は吉田の諏訪の森の木を伐ることを禁止しています。
『甲斐国志』によると、同年に武田信玄が富士権現を造営したと記載されています。これらの事柄から永禄4年の信玄による富士権現造営が現在の北口本宮冨士浅間神社の元になるものであるとし、それ以前は諏訪社のみが鎮座していたとする見方があります。

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【市指定文化財:随神門】
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【市指定文化財:神楽殿】
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【県指定文化財:拝殿】

その後は元和元年(1615年)、谷村城主鳥居土佐守成次が現在の本殿を建立、貞享5年(1688年)に社殿が造修されました。
一時荒廃してましたが、享保年間になって富士講の行者であった村上光清が私財を投げ打って再興し富士講の参詣者を集めたそうです。
拝殿の前の両脇には樹齢千年の「富士太郎杉」「富士夫婦檜」の名を持つ大きな御神木もあります。

そんな神社の真髄に進んでいきましょう
・・・・
それはまた次回(^^)




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