南九州の旅。 霧島神宮 [寺社仏閣]

霧島神宮は鹿児島県霧島市霧島田口にある神社。
旧社格は官幣大社で、坂本龍馬が新婚旅行で霧島連峰を訪れたことで有名な寺院です。

社会人になって初めて車を買い、初詣に行った場所でした。その頃も規模の大きな寺院だったと思いましたが、京都や鎌倉などの寺院を廻り改めて参拝すると改めて規模の大きさを実感しました。

では、そんな霧島神宮をご紹介しましょう。

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欽明天皇の時代(6世紀)、慶胤(けいいん)なる僧侶に命じて高千穂峰と火常峰の間に社殿が造られたのが始まりとされる。実際の所は高千穂峰に対する山岳信仰から始まった神社だそうです。
しかし火山の麓にあるという立地のためたびたび炎上してしまいます。
天暦年間には性空により瀬多尾越(現在の高千穂河原・古宮址)に遷されるが、ここもたびたび噴火の巻き添えで炎上します。
文明16年(1484年)、島津忠昌の命により兼慶が再建したのが現在の霧島神宮である。
但し、建物はその後も幾度も炎上し、現在の社殿は正徳5年(1715年)、島津吉貴の奉納により再建した物であるそうです。

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歴代島津氏の尊崇篤く、島津義久は、天正6年(1578年)耳川の戦いに臨む途中に参拝して鬮を引き、また九州北上にあたっても天正14年(1585年)6月に日向国惣先達職の面高善哉坊と重臣山田有信を、再び9月に吉田清存を、それぞれ遣わして鬮を引き侵攻方面を決めるなど、重要事の決定に際したびたび神慮を仰いでいる。
また、坂本龍馬が日本最初といわれる新婚旅行で霧島連峰を訪れたことで知られている。
その頃すでに山頂には天津日高彦火瓊瓊杵尊が突き刺したという天の逆鉾があった。明治期の神仏分離令が発令されるまでは西御在所霧島権現と称し、本地堂は十一面観音。別当寺に華林寺を有する。
霧島山を中心とした修験僧による霧島六所権現信仰の中心的役割を果たしていたそうです。

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以上の社殿は鹿児島藩主島津吉貴の寄進で、正徳5年(1715年)に建立された。社殿はいずれも朱塗りの華麗なものである。特に本殿は内部も豪華に装飾され、柱、梁、長押などはすべて朱漆塗りとした上に要所を彩色文様や鍍金の飾り金具で装飾し、壁には極彩色の浮き彫りを施した羽目板を配するなど、贅をこらしている。
神社建築で、外部だけでなく内部までこのように装飾をこらしたものは珍しく、「西の日光」と言う別名を持つ。
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【重要文化財】

本殿・幣殿・拝殿(合1棟)
登廊下
勅使殿

(以下は「附」(つけたり)指定)
門守神社 2棟
神饌所 1棟

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いやぁ、やはり立派な神宮ですね。
次回はこの日のお宿をご紹介します。




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