夏の京都 7 伏見稲荷大社 1 境内 [寺社仏閣]

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外国人観光客が選んだ日本国内観光地で第1位に輝いたのがご紹介する神社です。
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【表参道鳥居】
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【西参道鳥居】

【伏見稲荷大社】
伏見稲荷大社は京都市伏見区にある神社で、旧称は稲荷神社。
式内社(名神大社)、二十二社(上七社)の一社。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁に属さない単立神社。稲荷山の麓に本殿があり、稲荷山全体を神域とされています。
全国に約3万社あるといわれる稲荷神社の総本社です。初詣では近畿地方の社寺で最多の参拝者を集め(日本国内第4位〔2010年〕)、外国人観光客からも観光地として人気があり、「トリップアドバイザー(英語版)」による2014年の「外国人に人気の日本の観光スポット」調査では1位を獲得しました。

だそうです。
だからどこも彼処も外国人さんなんだと納得!!
この大社には世界的にも有名なスポットがあります。ではそんな大社の境内をご紹介していきましょう。

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【楼門:国重要文化財】
天正17年(1589年)再建。秀吉の母大政所殿の病悩平癒祈願が成就すれば一万石奉加する、と記したいわゆる“命乞いの願文”が伝来しています。
しかし造営伝承と伝来文書との整合性については多少の疑問がありました。ところが昭和48年に楼門の解体修理が行われたところ、願文の年次と同じ「天正17年」の墨書が発見され、伝承の正しかったことが確認されました。神社の楼門の規模としては最も大きいものに属します。

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【外拝殿:国重要文化財】
詳細の説明はありませんでしたが、こちらも重要文化財に指定されています!!

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【内拝殿】
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【本殿:国重要文化財】
五間社流造、檜皮葺き、明応3年(1494年)建立。
社殿建築としては大型に属し、装飾、特に“懸魚”の金覆輪や“垂木鼻”の飾金具、それと前拝に付けられた“蟇股”等の意匠に安土桃山時代へ向かう気風がみなぎり、豪放にして優華な趣をただよわしています。

さすがですね。京都の稲荷神社は規模も違います!!
次回はこれより更に奥へと進んで行きます。




夏の京都 6 泉涌寺 2 御座所庭園 [寺社仏閣]



泉涌寺の奥に建立されているのが御座所になります。

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【御座所】
仏殿・舎利殿の背後に建つ。安政年間(江戸時代末期)に建立され、明治天皇が使用していた旧御所の御里御殿を1884年に移築したものです。
女官の間、門跡の間、皇族の間、侍従の間、勅使の間、玉座の間などがあります。
玉座の間は、天皇皇后が来寺した際に休息所として使用する部屋であり、平成期(1989年-)に入ってからは、即位報告(1990年)、平安建都1,200年記念(1994年)、在位10年の報告(1999年)などの際に今上天皇が泉涌寺を訪れ、この部屋を使用しています。

そんな由緒ある御座所の庭園を覗いてみましょう。

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もう手入れされた庭園ほど落ち着く場所はない!と言っても過言ではないくらい落ち着きました。
でも、そんなに落ち着いている余裕もないので、次に向かうことにしました。
この日の目的地はこの後に後8箇所もあるのです!!
大変!!!

その次の目的地は【外国人が選んだ日本の観光地第一位】のあの場所です!!



夏の京都 5 泉涌寺 1 [寺社仏閣]

泉涌寺は、京都市東山区泉涌寺山内町にある真言宗泉涌寺派総本山の寺院で、山号は東山または泉山と呼ばれ、本尊は釈迦如来、阿弥陀如来、弥勒如来の三世仏。
平安時代の草創と伝えるが、実質的な開基(創立者)は鎌倉時代の月輪大師俊芿(がちりんだいししゅんじょう)だそうです。
東山三十六峰の南端にあたる月輪山の山麓に広がる寺域内には、鎌倉時代の後堀河天皇、四条天皇、江戸時代の後水尾天皇以下幕末に至る歴代天皇の陵墓があり、皇室の菩提寺として「御寺(みてら)泉涌寺」と呼ばれてています。
では、そんな泉涌寺をご紹介して行きましょう。

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【総門】
総門を抜け、更に歩くこと5分出てくるのが大門になります。
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【大門:国重要文化財】
慶長年間(江戸時代初頭)造営の御所の門を移築したものだそうです。

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【経蔵】
そしてゆるい下り坂を降りていくと出てくるのが仏殿になります。
この坂道からの風景を見たくて行きました!!
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【仏殿:国重要文化財】
寛文8年(1668年)、徳川家綱の援助で再建したものです。
密教寺院の中心堂宇は「本堂」「金堂」と称することが多いのですが、泉涌寺では宋風の「仏殿」の呼称を用いています。
内部は禅寺風の土間とし、柱、窓、組物、天井構架等の建築様式も典型的な禅宗様になり、本尊は過去・現在・来世を表す釈迦・阿弥陀・弥勒の3体の如来像を安置しています。
天井の竜の図と本尊背後の白衣(びゃくえ)観音図は狩野探幽の筆になっています。

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【浴室】

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【舎利殿】
舎利殿は、釈迦の仏牙舎利を奉安する貴重な霊殿です。慶長年間、京都御所の建物を移築改装したもので、仏殿と同時代に現位置へ移されました。
開山俊律師が熱願された舎利を、弟子の湛海律師が安貞2年(1228)に宋朝より将来し遷座した。
現在同時に将来された韋駄天像・月蓋(がつがい)長者像(共に重文)とともに内陣に奉祀されています。
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本当に広い境内です。石仏や石塔などが少ない分、更に清閑に見えます。次回は、この奥にある【泉涌寺御座所】の【御座所庭園】を詳しくご紹介します。



夏の京都 4 東福寺 方丈 [寺社仏閣]

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【東福寺 方丈】
明治23年(1890年)の再建。正面前庭にある唐門は明治42年(1909年)に造営され、昭憲皇太后より下賜されたものです。
庭園は近代の造園家、重森三玲によって昭和13年(1938年)に作庭され、方丈を囲んで四方に配されています。
釈迦成道を表現し、八相の庭と命名されています。
鎌倉期庭園の質実剛健な風格を基本とし、これに近代芸術の抽象的構成をとり入れた枯山水庭園である。
今回の旅の目的のひとつでもあります、東福寺方丈庭園をご紹介して行きましょう。

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【南庭】
荒海の砂紋の中に蓬莱、方丈、瀛洲、壺梁の四仙島を表現した配石で、右方には五山が築山として表現されています。

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【北庭】
南の恩賜門内にあった敷石を利用し、石と苔を幾何学的な市松模様に配しています。

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【西庭】
さつきの刈込みと砂地が大きく市松模様に入り、くず石を方形に組んで井田を意図しています。

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【東庭】
東司の柱石の余材を利用して北斗七星を構成し、雲文様の地割に配していますが、この東庭のもう一枚の写真が個人的には結構お気に入りの一枚なんです。
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【東庭:北斗七星】
当時は方丈庭園の庭に人間の手を加えた石を配置することにも難癖を付ける人がいたそうですが、僕個人的には本当に素晴らしい庭だと思います。

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結構巧い写真アングルではないかと自負しています(^^;)
次回はこの寺院の裏手に広がるこれまた巨大な寺院をご紹介します。ちなみに次の寺院も拝観したいと思っていた寺院のひとつです!!




夏の京都 3 東福寺 通天橋~常楽庵 [寺社仏閣]

前回の続き、今日は通天橋と常楽庵をご紹介します。

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【通天橋】
仏殿から常楽庵に至る渓谷・洗玉澗に架けられた橋廊で、天授6年(1380年)に春屋妙葩が谷を渡る労苦から僧を救うため架けたと伝えられています。
昭和34年(1959年)台風で崩壊したが2年後に再建、その際橋脚部分は鉄筋コンクリートとなったそうです。
ここは兎に角紅葉で有名な場所です。
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【通天橋下の翠紅葉】
そして、この通天橋の奥にある建造物が
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【常楽庵開山堂:国重要文化財】
主要伽藍の北側に位置しています。
開山円爾像を安置する開山堂とその手前の昭堂を中心とした一画。
文政2年(1819年)焼失後、同9年(1826年)までに再建されました。
昭堂の中央部分は2階建の楼閣となっており、京都五閣のひとつ伝衣閣(でんねかく)と称されています。

ちなみに京都五閣とは、世界的にも有名な鹿苑寺の金閣や慈照寺の銀閣、それに西本願寺の飛雲閣、大徳寺塔頭芳春院の呑湖閣、そしてここ東福寺の伝衣閣を言います。

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【金閣寺】(※2014年1月撮影)
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【銀閣寺】(2014年1月撮影)
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【飛雲閣】(※2014年8月撮影)
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【呑湖閣】(※2013年9月撮影)

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枯山水の庭に囲まれた呑湖閣は清閑な佇まいでした。

その呑湖閣に隣接するのが
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【愛染堂】

非常に広い伽藍を有する東福寺のもうひとつの見所が【東福寺方丈】になります。
その方丈はまた次回詳しくご紹介します。今まで見てきました庭園とは違う庭園に、多分、ビックリすると思います(^^)。




夏の京都 2 東福寺 境内 [寺社仏閣]

東本願寺から自転車で・・・・結構かかりました。
東福寺。
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【偃月橋から見る通天橋】

東福寺は、京都市東山区本町十五丁目にある臨済宗東福寺派大本山の寺院で、山号を慧日山(えにちさん)。
本尊は釈迦如来、開基(創立者)は九条道家、開山(初代住職)は円爾です。
京都五山の第四位の禅寺として中世、近世を通じて栄えました。
明治の廃仏毀釈で規模が縮小されたとはいえ、今なお25か寺の塔頭(山内寺院)を有する大寺院です。
では、この見所満載の東福寺を詳しくご紹介して行きましょう。

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【禅堂:国重要文化財】
まずはこの禅堂。
貞和3年(1347年)に再建された豪壮な姿に往時の隆盛がしのばれる単層・裳階(もこし)付切妻造の建物で、中世期より現存する最大最古の禅堂なのです。
一発目がこの禅堂なのですから、この先が楽しみです。
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【山門:国宝】
応永32年(1425年)に足利義持が再建し、現存する禅寺の三門としては日本最古のものです。
上層に釈迦如来と十六羅漢を安置する折衷様の五間三戸二重門です。
(※「五間三戸」とは正面の柱間が5つ、うち中央3間が通路になっているという意味、「二重門」は2階建ての門だが、「楼門」と違い、1階と2階の境目にも軒の出を作るものを言います)。
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ちなみにこの山門には13世紀に秀吉が付け加えた柱が4箇所あります。山門の屋根の四隅が下がらないようにと配慮した柱で通称【太閤柱】と呼ばれています。
行った際には見つけてみて下さい。日本全国の文化財の保護も率先して行った秀吉なのでした。

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【本堂(仏殿兼法堂)】
明治14年(1881年)に仏殿と法堂が焼け落ちた後、大正6年(1917年)から再建工事にかかり昭和9年(1934年)に完成したそうです。
入母屋造、裳階付き。高さ25.5メートル、間口41.4メートルという大規模な堂で、昭和期の木造建築としては最大級のものです。
天井の竜の絵は堂本印象筆である。本尊釈迦三尊像(中尊は立像、脇侍は阿難と迦葉)は、明治14年の火災後に万寿寺から移されたもので、鎌倉時代の作です。

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【経蔵】

この経蔵の先にあるのが通天橋になりますが、通天橋は次回ご紹介します。








夏の京都 1 東本願寺   [寺社仏閣]

8月の夏休みに行った京都の旅をご紹介します。
もう秋になっちゃいましたけど、それはそれで良しと(^^)して下さい!!お正月にご紹介した寺社仏閣以外を中心にご紹介します。

ではでは。

最初に向かったのは、京都駅から程近い場所にある巨大な寺院【東本願寺】です。

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【阿弥陀堂門】
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東本願寺は京都府京都市下京区烏丸七条にある真宗大谷派の本山の通称で、正式名称は、「真宗本廟」になります。

大谷派の最高規範である『真宗大谷派宗憲』(以降、『宗憲』)には、「真宗本廟は、宗祖聖人の真影を安置する御影堂及び阿弥陀堂を中心とする聖域であって、本願寺とも称し、本派 の崇敬の中心、教法宣布の根本道場である」と規定される。
東本願寺(真宗本廟)は、包括宗教法人である「真宗大谷派」に包括される単位宗教法人(被包括宗教法人)ではなく、法人格を有していない[5]。大谷派が管理する礼拝施設等(伽藍)の総称であり、宗教法人法による寺院ではない。(宗教法人法による宗教法人の分類については、宗教法人#単位宗教法人と包括宗教法人を参照。)
(※Wikipediaより)
東本願寺は江戸時代に4度の火災に遭っており、その火災の多さから「火出し本願寺」と揶揄されていますが、東本願寺が火元となったのは、文政6年(1823年)11月15日の火災のみだそうです。
現存建造物の多くはどんどん焼けの後、明治期の再建だが、建築・障壁画等は当時の技術の粋を集める建造物ばかりで、建造物のほとんどが【国の登録有形文化財】に指定されています。

では、そんな建造物をご紹介します。

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【御影堂】
御影堂は、境内のほぼ中心に位置する和様の道場形式の堂宇です。屋根は瓦葺きの重層入母屋造。
外観が二重屋根であるため二層建築に見えますが、下部は裳階であり単層建築です。
建築規模は、間口76m・奥行き58mであり、建築面積において世界最大の木造建築物です。
現在の建物は、明治13年(1880年)に起工し、明治28年(1895年)に完成しました。平成16年(2004年)3月から平成21年(2008年)12月にかけて、大規模修復が行われました。総工費は約98億円です。
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堂内は、「内陣」・「外陣」・「参拝席」に分かれています。
内陣は横に7つの室に分かれていて、中央の間を「内陣本間」と呼ばれます。
「内陣本間」側から、左側の余間を「十字の間」・「九字の間」・「飛檐の間」と呼び、同じく右側の余間を「六軸の間」・「新六軸の間」・「御簾の間」と呼びます。
「内陣本間」の中央に須弥壇上を設け、その上に「御厨子」を置き「御真影」(宗祖親鸞の坐像)を安置しています。
かつては「大師堂」と呼ばれていました。
その由来は、明治9年(1876年)に明治天皇から親鸞に対して「見真大師」の大師諡号が贈られたためです。昭和56年(1981年)に「宗憲」が改正された際、「見真大師」号が削除され、同時に大師堂の呼称が取りやめられ、御影堂の呼称に復しました。
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そして、この隣にある阿弥陀堂と御影堂門は現在修復中なので端折ります。
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【御影堂門の装飾】
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【鐘楼】

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【菊の門】
個人的に、この門は好きな門なんです。他の寺院の門には少ない肌色を基調とした色彩がいい感じなんで(^^)
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【玄関門】

もし江戸時代に4回の大火に遭遇していなければ、建物のほとんどが国宝や重要文化財に指定され、東本願寺も世界文化遺産に登録されていたことでしょう。
そう思うと、非常に重要な寺院だと思えてきます!!

次回は、この東本願寺脇にあるレンタサイクル屋さんでお世話になり、東福寺へと向かいます。
東福寺は今回行きたかった寺院の中でもトップクラスの寺院なんで、詳しくご紹介します。


山梨観光 22 清白寺 [寺社仏閣]

清白寺(せいはくじ)は、山梨県山梨市にある寺院で、宗派は臨済宗妙心寺派、山号は海涌山(かいゆうざん)、本尊は釈迦如来です。

ブドウ畑のど真ん中にある寺院です。
ではでは、最後の文化財をご紹介しましょう。

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甲斐国では元徳2年(1330年)に夢窓疎石により開創された恵林寺や長禅寺(古長禅寺)をはじめ夢窓派による禅宗寺院が創建されていますが、清白寺は正慶2年(1333年)あるいは観応2年(1351年)の創建されました。
『甲斐国志』によれば開基は足利尊氏で、国家安泰戦勝祈願所として創立し、二世住職で夢窓疎石の高弟清渓通徹により開創され、清渓が師の夢窓を開山と位置づけています。
また、貞和5年(1349年)に浄居寺住職の友山が当寺を訪れた際に詠んだ漢詩や絶海中津の漢詩からも夢窓との関係が窺えます。
嘉慶元年(1387年)には鎌倉円覚寺の勧進に奉加しています。室町時代には関東夢窓派の中心寺院となった鎌倉建長寺末だったが、江戸時代初期ごろに妙心寺末となりました。
天和2年(1682年)の火災で仏殿を除きほとんどの堂宇が焼失し、その直後から総門の完成する享保16年(1731年)まで再建工事が行われました。

伽藍の並びは
総門―放生池―三門(鐘楼門)―仏殿―本堂が一直線に並ぶ、禅宗形式に沿った配置となっています。

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【総門】
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【山門(鐘楼門)】
そして
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【仏殿:国宝】
国宝。身舎(もや)組物の墨書銘によれば応永22年(1415年)の建立。入母屋造、檜皮葺小形の方三間裳階(もこし)付形式で、大規模仏殿に用いられる意匠をそのまま小型化した建築であると評される。県内では東光寺や最恩寺に中世禅宗様の仏殿が残り、いずれも関東禅宗様式に属する。

やはり国宝ですね。精密な感じが伺えます。

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【庫裏:国重要文化財】
国の重要文化財。元禄2~6年(1689年~1693年)に再建されたと考えられ、江戸時代中期の禅宗寺院庫裏として貴重である。
そして本堂があるのですが、あまりにも生活観が出ていたので今回は割愛します。

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【庫裏】

いやぁ、最後に国宝とは・・・って感じでしょ。何と山梨県での国宝建造物はここの仏殿と大善寺の仏殿の二つのみなんです。
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(大善寺※2012年7月撮影)
これで山梨県の国宝は制覇しました(^^)

明日からは番外編で、移動中やホテルをご紹介します。


山梨観光 20 雲峰寺 [寺社仏閣]

大菩薩嶺から下って来るとあるのがこの寺院になります。
雲峰寺は、山梨県甲州市塩山上荻原にある寺院で、臨済宗妙心寺派の寺院。
本尊は十一面観音像(裂石観音)。山号は裂石山。

ではご紹介していきます。
さいしょから風情のある石段が続きます。
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その途中に多くの石仏が並んでいますが、その中でも
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この2体は愛らしい石仏でした。
そして
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【仁王門:国重要文化財】
昭和24年に重要文化財に指定されました。
正面約6.8m、側面3.6m。一戸三間八脚門単層屋根入母屋造りの茅葺です。198段の石段の途中にあり、二体の仁王像が安置されております。

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【鐘楼】

甲府盆地東部を流れる笛吹川支流の重川上流部、青梅往還を大菩薩峠へ向かう登山道沿いに立地するこの雲峰寺、寺伝によれば、もとは真言宗もしくは天台宗寺院で、天平17年(745年)に行基が大石が裂け一夜にして生えた萩木から本尊の十一面観音を彫刻し、開山したと伝えられています。

室町時代には恵林寺住職の絶海中津が観音堂改修の浄財勧募を行っており(『絶海録』)この頃には恵林寺末寺として臨済宗に改修していたものと考えられています。戦国期には甲府(甲府市)が甲斐守護武田氏の本拠となりますが、雲峰寺は甲府の鬼門に位置するため、『甲斐国志』に拠れば武田氏の祈願所となっていたと伝えられています。

そしてこの観音様の顔が浅田真央に見えるのは僕だけでしょうか・・・
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【本堂:重要文化財】
昭和24年に重要文化財に指定されました。
正面約12m、側面11mの単層入母屋造の檜皮葺の建物で、四面に縁を巡らし全ての柱は円柱を使用。

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【庫裏:重要文化財】
正面10.9m、側面18mの単層屋根切妻造り茅葺きの大建築です。

他にも書院が重要文化財に指定されています、拝観出来ませんでしたので内容だけでご了承ください!!
【書院】
昭和24年に重要文化財に指定されています。
正面14.5m、側面9mの単層寄棟造り茅葺で、周囲に濡れ縁(ぬれえん)を付して正面内部は広い廊下となっており、外周りは明障子(あかりしょうじ:光を通す障子のこと)を立ててあります。
内部は上段の間(床違棚、書院付)他は6室で、柱は面がとられ天上は猿頬天上、室の境は菱格子を立て、落ち着いた雰囲気を持っています。
(※雲峰寺のホームページネットより抜粋)

黒澤明監督の映画【影武者】のロケ地になったことでも有名な寺院です。

天文年間に火災に遭い、紹謹禅師の尽力と甲斐守護武田信虎・晴信(信玄)の支援により復興されたそうです(「雲峰寺文書」)。
永禄元年(1558年)9月25日に晴信は住職芳書記室に武運長久祈願を命じています。
天正10年(1582年)に武田勝頼が一族とともに天目山の戦いで滅亡した時、武田家の家宝である 「日の丸の御旗」 「孫子の旗」 「諏訪神号旗」 などを山伝いに運んだといわれ、寺宝として保存され現在も宝物殿 で見ることができます。

大菩薩嶺に登山に行った際には是非行かれてみて下さい。

山梨観光 17 武田神社 [寺社仏閣]

武田神社は以前も何度かご紹介しているので、今回は軽くご紹介します。
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武田神社(たけだじんじゃ)は、山梨県甲府市古府中町にある神社。
躑躅ヶ崎館の跡地(武田氏館跡)に建てられており、武田信玄を祭神としています。
旧社格は県社。
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【拝殿】

甲府市内でも有数の観光スポットって事もあり、夕方4時頃でも沢山の人が来ていました。
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【甲陽武能殿】
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【名水、姫の井戸:水琴屈】

まぁ、こんな感じでしょうか。他に見所はそうありません。ってか、この神社は好きじゃないのですよ。何でしょうね、お高くとまった感じ?とでも言いましょうか。
前回参拝した時に御朱印をお願いした時の事。
もうやる気のないジジイが出て来て、「はい!」と早く渡せと言わんばかりに不機嫌そうに言われました。
しかも戻ってきた御朱印帳の文字が下手という訳ではなく、雑極まりない感じ。たかが奉納と書いているだけなのに、その文字さえ雑なんです。朱印は滲んでいるしで最悪でした。
思わず「何なのこれ?」というと、そのジジイは言いました。
「はい、次」って・・・。

はぁ?でしょ。
御朱印とは言ってもたかが300円ですよ。されど300円。
しかも「はい、300円」と言われました。普通「では300円お納め下さい」とかいうのが礼儀でしょ。駄菓子屋か!?と思いました。それも神に仕える人達の心意気がこんなもんなんだとは甚だ可笑しいっていうか腹立たしい気分になりました。
たぶん、この神社で同じ気持ちになった人は数多くいると思います。次に御朱印をもらった人も見て笑っていました。
本当に酷いというか切ない出来事でした。
それ以来、この神社は嫌いなのですが、前回の写真はまあり巧く撮れていなかったので今回伺う事にしました。
で、ここから程近い場所に宿を取りましたので、次回はそのホテルをご紹介します。



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