【初秋:諏訪大社巡りの旅】 ~ 諏訪大社下社秋宮 [寺社仏閣]
昨日まで紹介していた木曽路の延長線上なのですが、今日からは諏訪大社と銘打ってご紹介したいと思います。
諏訪湖について最初に参拝したのが、4つある代表的な諏訪大社のひとつ【諏訪大社下社秋宮】です。
秋宮(あきみや)は下諏訪の春宮の町の東端に鎮座し、東方には承知川が流れている神社です。
毎年8月-翌1月に祭神が祀られている。
境内に建立されている社殿4棟が国の重要文化財に指定されています。
周辺は温泉の湧出地で、境内にも御神湯があります。社殿の形式は春宮と同じで、古くは秋宮・春宮間で建築の技が競われたそうです。
【神楽殿:国重要文化財】
江戸時代、天保6年(1835年)造営。
そして
【幣拝殿:国重要文化財】
江戸時代、安永10年(1781年)落成。
幣殿と拝殿が一体となった二重楼門造りで、左右に片拝殿(重要文化財)が並びます。
【片拝殿(左):国重要文化財】
江戸時代、安永10年(1781年)落成。
【御神湯】
こちらの御神湯、兎に角熱い。どこかのお婆ちゃんなんてこれを手水舎と勘違いして手を洗おうとして、あまりの熱さに絶叫していました。まぁ、水と思って触れちゃうとそりゃ絶叫しちゃいますよね。
明日はここから程近い場所にある【諏訪大社下社:春宮】をご紹介します。
諏訪湖について最初に参拝したのが、4つある代表的な諏訪大社のひとつ【諏訪大社下社秋宮】です。
秋宮(あきみや)は下諏訪の春宮の町の東端に鎮座し、東方には承知川が流れている神社です。
毎年8月-翌1月に祭神が祀られている。
境内に建立されている社殿4棟が国の重要文化財に指定されています。
周辺は温泉の湧出地で、境内にも御神湯があります。社殿の形式は春宮と同じで、古くは秋宮・春宮間で建築の技が競われたそうです。
【神楽殿:国重要文化財】
江戸時代、天保6年(1835年)造営。
そして
【幣拝殿:国重要文化財】
江戸時代、安永10年(1781年)落成。
幣殿と拝殿が一体となった二重楼門造りで、左右に片拝殿(重要文化財)が並びます。
【片拝殿(左):国重要文化財】
江戸時代、安永10年(1781年)落成。
【御神湯】
こちらの御神湯、兎に角熱い。どこかのお婆ちゃんなんてこれを手水舎と勘違いして手を洗おうとして、あまりの熱さに絶叫していました。まぁ、水と思って触れちゃうとそりゃ絶叫しちゃいますよね。
明日はここから程近い場所にある【諏訪大社下社:春宮】をご紹介します。
【初秋木曽路の旅】 ~ 美ヶ原 2 [登山]
【初秋木曽路の旅】 ~木曽平沢編 [旅行]
奈良井宿から木曽平沢までは20~30分てくてく歩くと到着するのがここ木曽平沢。
【木曽平沢:国指定伝統的建造物群保存地区】
標高900m、奈良井宿の北東、奈良井川左岸に位置する。16世紀末頃に集落形成が始まったとされる。慶長7年に江戸幕府により中山道のルートとして整備されたことで宿場である奈良井宿の枝郷という位置付けの工人町として発展を始め、高地の寒冷気候が漆工に適していることもあって、江戸時代を通して中山道随一の漆器生産地として栄えることになった。今日においても漆器生産量は日本有数である。
江戸時代末期から昭和時代初期の漆工町の特徴を伝える建築が多く現存する本通り(旧中山道)と金西町および諏訪神社周辺は、2003年と2004年の国立奈良文化財研究所による伝統的建造物群保存対策調査を経て、2006年に重要伝統的建造物群保存地区の選定を受けた。
とネットには書いてあります。
この時、まだ8時35分。
ここから30分電車を待つのは・・・長い。
と思ったとき、あるものを思い出しました。福祉バスの存在です。
街のどこかにあったのを思い出し手分けして町並みを逆走しました。するとありました。福祉バスのバス停。
ビックリ!なんと午前8時59分一本しかないじゃないですか!!!!
しかも後5分で到着。しかもしかも料金100円!
素晴らしい!
無事にバスに乗って、次の目的地に向かいました。
次の目的地はこの日の最大の目的、【大菩薩嶺登山】です。
【木曽平沢:国指定伝統的建造物群保存地区】
標高900m、奈良井宿の北東、奈良井川左岸に位置する。16世紀末頃に集落形成が始まったとされる。慶長7年に江戸幕府により中山道のルートとして整備されたことで宿場である奈良井宿の枝郷という位置付けの工人町として発展を始め、高地の寒冷気候が漆工に適していることもあって、江戸時代を通して中山道随一の漆器生産地として栄えることになった。今日においても漆器生産量は日本有数である。
江戸時代末期から昭和時代初期の漆工町の特徴を伝える建築が多く現存する本通り(旧中山道)と金西町および諏訪神社周辺は、2003年と2004年の国立奈良文化財研究所による伝統的建造物群保存対策調査を経て、2006年に重要伝統的建造物群保存地区の選定を受けた。
とネットには書いてあります。
この時、まだ8時35分。
ここから30分電車を待つのは・・・長い。
と思ったとき、あるものを思い出しました。福祉バスの存在です。
街のどこかにあったのを思い出し手分けして町並みを逆走しました。するとありました。福祉バスのバス停。
ビックリ!なんと午前8時59分一本しかないじゃないですか!!!!
しかも後5分で到着。しかもしかも料金100円!
素晴らしい!
無事にバスに乗って、次の目的地に向かいました。
次の目的地はこの日の最大の目的、【大菩薩嶺登山】です。
引越し [ひとり言]
いよいよ、今日の夜から今住んでるマンションから荷物を運び出し、次住む場所に運びます。
先月の20日くらいに話が持ち上がり、急遽決行することに。
で、今日の夜から家具なんかを運びます。
ひとりで(^^)。たいした家具はないし、たぶん今回も大丈夫ではないかと思っています。
先月の20日くらいに話が持ち上がり、急遽決行することに。
で、今日の夜から家具なんかを運びます。
ひとりで(^^)。たいした家具はないし、たぶん今回も大丈夫ではないかと思っています。
【初秋木曽路の旅】 ~ 美ヶ原 1 [登山]
【初秋木曽路の旅】 ~ 奈良井宿編 5 大宝寺、長泉禅寺他 [寺社仏閣]
奈良井宿も今回が最終回。
他にもご紹介したい場所を何箇所かごUPします。
【大宝寺】
臨済宗妙心寺派 広伝山
およそ400年前の天正10年に建立された寺で、江戸時代に現在の本堂が建てられ寺名を「広寺山 大宝寺」とした。信州・木曽霊場・七福神めぐりの寺でもあり、知恵と寿命を与える神−寿老人の霊場寺としても有名です。
境内には、キリシタン禁制の江戸時代に抱かれた子供も、膝も頭部も破壊され、わずかに胸の十字架だけが残っている有名なマリア地蔵尊があります。また、裏庭は享保年間につくられた嵯峨流の庭園です。毎年6月頃に咲くツツジと、秋の紅葉は見事な眺めとなります。是非、訪れてみてください。
【郵便局】
【上問屋資料館:国指定重要文化財指定】
上問屋資料館は古文書・陶器・漆器など400点余りの諸道具を展示しており、国の重要文化財に指定されています。昔宿駅には幕府の役人や諸大名・その他の旅行者用のために、幕府の定めた一定数の伝馬(てんま・宿駅用の馬)と歩行役(人足)とを定備しておき、旅行者の需に応じていました。これを宿駅制度(宿場・伝馬制度)といいます。木曽11宿には1宿につき25人の歩行役と25疋の伝馬を用意していたといいます。
この伝馬と歩行役を管理運用していたのが「問屋(といや)」です。問屋の下には数人の年寄役があって、問屋を補佐していました。奈良井宿の上問屋は慶長年間(1602年)から明治維新までのおよそ270年間継続して問屋を務めました。時には庄屋を兼務することもあったようです。その永い間に残された古文書や日常生活に使用した諸道具等を展示したのがこの資料館です。往時を偲ぶよすがとなれば幸いです。
【鎮神社】
ここの境内は良かったですよ。
【SL】
【木曽の大橋】
【JR奈良井駅】
【長泉禅寺】
3代将軍家光より宇治採茶使が制度化され、御茶壷道中(寛永10年)が始まった。
茶道頭以下「公儀の11茶壷、西の丸2壷」中山道、甲州街道と経て江戸に向かう。
元禄2年の記録に依ると5月26日須原、5月27日奈良井宿長泉寺に宿泊とある。毎年の茶壷は必ず奈良井宿長泉寺に宿泊していたと当寺の記録にある。尚、当寺には拝領の茶壷が残されている。
他の寺院はちょいと生活観が出過ぎていたので、今回はUPしません。
国指定の重要な町並み、重要文化財指定の建造物、お寺、神社、草木花、SL、大橋、食文化、工芸、本当に見所が満載の奈良井宿でした。
明日はこの奈良井宿の枝郷、木曽平沢をご紹介します。
他にもご紹介したい場所を何箇所かごUPします。
【大宝寺】
臨済宗妙心寺派 広伝山
およそ400年前の天正10年に建立された寺で、江戸時代に現在の本堂が建てられ寺名を「広寺山 大宝寺」とした。信州・木曽霊場・七福神めぐりの寺でもあり、知恵と寿命を与える神−寿老人の霊場寺としても有名です。
境内には、キリシタン禁制の江戸時代に抱かれた子供も、膝も頭部も破壊され、わずかに胸の十字架だけが残っている有名なマリア地蔵尊があります。また、裏庭は享保年間につくられた嵯峨流の庭園です。毎年6月頃に咲くツツジと、秋の紅葉は見事な眺めとなります。是非、訪れてみてください。
【郵便局】
【上問屋資料館:国指定重要文化財指定】
上問屋資料館は古文書・陶器・漆器など400点余りの諸道具を展示しており、国の重要文化財に指定されています。昔宿駅には幕府の役人や諸大名・その他の旅行者用のために、幕府の定めた一定数の伝馬(てんま・宿駅用の馬)と歩行役(人足)とを定備しておき、旅行者の需に応じていました。これを宿駅制度(宿場・伝馬制度)といいます。木曽11宿には1宿につき25人の歩行役と25疋の伝馬を用意していたといいます。
この伝馬と歩行役を管理運用していたのが「問屋(といや)」です。問屋の下には数人の年寄役があって、問屋を補佐していました。奈良井宿の上問屋は慶長年間(1602年)から明治維新までのおよそ270年間継続して問屋を務めました。時には庄屋を兼務することもあったようです。その永い間に残された古文書や日常生活に使用した諸道具等を展示したのがこの資料館です。往時を偲ぶよすがとなれば幸いです。
【鎮神社】
ここの境内は良かったですよ。
【SL】
【木曽の大橋】
【JR奈良井駅】
【長泉禅寺】
3代将軍家光より宇治採茶使が制度化され、御茶壷道中(寛永10年)が始まった。
茶道頭以下「公儀の11茶壷、西の丸2壷」中山道、甲州街道と経て江戸に向かう。
元禄2年の記録に依ると5月26日須原、5月27日奈良井宿長泉寺に宿泊とある。毎年の茶壷は必ず奈良井宿長泉寺に宿泊していたと当寺の記録にある。尚、当寺には拝領の茶壷が残されている。
他の寺院はちょいと生活観が出過ぎていたので、今回はUPしません。
国指定の重要な町並み、重要文化財指定の建造物、お寺、神社、草木花、SL、大橋、食文化、工芸、本当に見所が満載の奈良井宿でした。
明日はこの奈良井宿の枝郷、木曽平沢をご紹介します。