深夏の寺院巡り 横浜  東潮寺 [寺社仏閣]

横浜磯子区にある寺院、東潮寺。
本当は鎌倉の寺院をご紹介するつもりでしたが、この寺院の存在を忘れていました。

DSC_0112.jpg
DSC_0113.jpg
東漸寺(とうぜんじ)は、横浜市磯子区杉田にある臨済宗建長寺派の寺院で、正式には霊桐山東漸実際禅というそうです。
DSC_0116.jpg

正安3年(1301年)北条宗長(北条時政から数えて5代目)により桃渓徳悟を開山に迎え建立された。至徳3年(1386年)五山十刹の制度により十刹の第7位に列せられています。

DSC_0117.jpg
【鐘楼:国重要文化財】
梵鐘「永仁の鐘」(国の重要文化財)永仁6年(1298年)に鋳物師、物部国光によって造られた。総高127cm、口径70.6cm。現在ここ東漸寺をはじめ5口の梵鐘が残っていますが、いずれも国宝や重要文化財に指定されています。特に円覚寺鐘は260センチもある巨鐘で、物部重光の作った建長寺の鐘(建長7年、1255年)210センチと双璧をなす名鐘です。昭和28年11月、国の重要文化財として指定されました。
現在この鐘は釈迦堂内に保存されており、鐘楼の鐘はこの鐘の複製です。

DSC_0120.jpg
DSC_0119.jpg
【釈迦堂:県重要文化財】
梁牌により正安3年(1301年)に円覚寺の永仁再興に当たった桃渓徳悟(宏覚禅師の元の名)が、北条義時の次子、名越朝時の會孫宗長を大檀那として建立されました。
応仁の乱以後兵火にかかり建物が焼失しましたが、建長寺第156世以精嵩一和尚が衰退を惜しんで寺門興隆の基礎を開きました。明治11年、杉田の大火によって、表門・裏門・観音堂・弁天堂・稲荷社等を焼失しましたが、釈迦堂・開山堂・庫裏・鐘楼は焼失を免れました。更に大正大震災では釈迦堂のみ残り、その後5回の大修理が行われました。創建当時の古材が、柱8本、台輪3丁、など貴重な部材が残されました。
昭和46年9月、県の有形文化財として指定され、同47年5月、県文化財保護課による基壇、土間の発掘調査が行われ、典型的な禅宗様仏殿の平面が判明しました。それにより、仏殿復元が可能となり、昭和48年4月より5ヵ年で解体修理が行われ、完全な復元がなされた大規模な中世禅宗建築として残されています。

一般には、円覚寺の舎利殿が最古の禅宗建築様式を伝えると言われていますが、弘治年間(1555年)に西御門の太平寺の仏殿を移築したもので、東漸寺の仏殿は文明時代ですから、これこそ最古の禅宗様式として貴重な建物です。
仏殿には、本尊釈迦を安置しているので通常は釈迦堂と呼ばれています。
という、立派な釈迦堂です。
DSC_0050.jpg
(※円覚寺舎利殿:国宝 2014年11月撮影 )

見比べてみても非常に興味深い類似点が多いのが分かるかと思います。

DSC_0121.jpg
【庫裏】
DSC_0122.jpg
【五輪塔:県重要文化財】
釈迦堂の手前に三基の五輪塔があります。蜜教では、宇宙はすべて空、風、火、水、地、の万象によって構成されるという思想から、下から方、円、三角、半円、宝珠形を積み上げて造られています。
この五輪塔はいずれも疑灰岩製にも拘わらず、比較的風化が少なく、大きさは大小ですが、ほとんど同じ形で右
塔の空風輪は欠損していますが、軒の厚さは中央と両端ではほとんど差がなく、三基の五輪塔はともに鎌倉時代後期のものと思われます。
国の重要文化財の建造物ではないけど、国の重要文化財、国宝にも匹敵する建造物でしたので、行って良かった寺院でした。あいにく拝観は出来ませんでしたが、外観だけでも十分に楽しめました。


次回は、鎌倉の寺院になります。











この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。