夏の京都 25 賀茂別雷神社 [寺社仏閣]
今日ご紹介する神社も春先に断念し参拝出来なかった神社になります。
もちろん、国宝、重要文化財、そして世界文化遺産にも登録されていますので見応えは十分でした。
ではでは。
賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)は、京都市北区にある神社。通称は上賀茂神社(かみがもじんじゃ)。式内社(名神大社)、山城国一宮、二十二社(上七社)の一社。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。
ユネスコの世界遺産に「古都京都の文化財」の1つとして登録されています。
【高札所、一の鳥居】
創建については諸説ありますが、社伝では、神武天皇の御代に賀茂山の麓の御阿礼所に賀茂別雷命が降臨したと伝えられています。
『山城国風土記』逸文では、玉依日売(たまよりひめ)が加茂川の川上から流れてきた丹塗矢を床に置いたところ懐妊し、それで生まれたのが賀茂別雷命で、兄玉依日古(あにたまよりひこ)の子孫である賀茂県主の一族がこれを奉斎したと伝えられています。
丹塗矢の正体は、乙訓神社の火雷神とも大山咋神ともいう。
玉依日売とその父の賀茂建角身命は下鴨神社に祀られています。国史では、文武天皇2年(698年)3月21日、賀茂祭の日の騎射を禁じたという記事が初出で、他にも天平勝宝2年(750年)に御戸代田一町が寄進されるなど、朝廷からの崇敬を受けてきたことが伺えます。
延暦13年(794年)の平安遷都の後は王城鎮護の神社としてより一層の崇敬を受け、大同2年(807年)には最高位である正一位の神階を受け、賀茂祭は勅祭とされた。『延喜式神名帳』では「山城国愛宕郡 賀茂別雷神社」として名神大社に列し、名神祭・月次祭・相嘗祭・新嘗祭の各祭の幣帛に預ると記載されている。弘仁元年(810年)以降約400年にわたって、伊勢神宮の斎宮にならった斎院が置かれ、皇女が斎王として奉仕した。
明治の近代社格制度でも官幣大社の筆頭とされ、明治16年(1883年)には勅祭社に定められた。
【二の鳥居及び世界文化遺産登録案内版】
【楽舎、細殿・橋殿・土舎:国重要文化財】
【土舎:国重要文化財】
【細殿:国重要文化財、及び立砂】
そして、この上賀茂神社で有名な建造物のひとつが
【楼門:国重要文化財】
そして
【本殿:国宝】
【庁屋(北神饌所):国重要文化財】
他にも多くの重要文化財が建立されています。
国宝
建造物
本殿 - 1863年建造
権殿 - 1863年建造
重要文化財(国指定)
建造物
本殿権殿取合廊 - 1863年頃建造
本殿東渡廊取合廊 - 1863年頃建造
西渡廊 - 1628年建造
透廊 - 1628年建造
渡廊 - 1628年建造
祝詞舎 - 1628年建造
塀中門 - 1628年頃建造
摂社若宮神社本殿 - 1628年建造
東渡廊 - 1628年建造
四脚中門 - 1628年建造
御籍屋 - 1628年建造
神宝庫 - 1628年建造
唐門 - 1628年頃建造
東御供所 - 1628年頃建造
直会所 - 1628年頃建造
楽所及び西御供所 - 1628年頃建造
幣殿 - 1628年建造
忌子殿 - 1628年頃建造
幣殿忌子殿取合廊 - 1628年頃建造
高倉殿 - 1628年頃建造
楼門 - 1628年建造
廻廊 2棟 - 1628年頃建造
摂社新宮神社本殿及び拝殿 2棟 - 1628年建造
摂社片岡神社本殿及び拝殿 2棟 - 1628年建造
片岡橋 - 明治初年建造「谷重雄」
拝殿(細殿) - 1628年建造
舞殿(橋殿) - 1863年建造
土屋(到着殿) - 1628年建造
楽屋 - 1628年建造
外幣殿 - 1628年建造
北神饌所(庁屋。奈良神社拝殿付属) - 1628年建造
(以下は「附(つけたり)」指定物件)
末社棚尾社本殿
摂社須波神社本殿
玉橋
末社杉尾社本殿
末社土師尾社本殿
本当は出来る限り見て廻りたかったのですが、なんと駐輪場を探すのに手間取ってしまい時間が無くなってしまったのです。
だから、今回はこれくらいで(^^)
それでも最低限のものは拝観出来たと思います。
そして、次回はここから一気に北に向かいます。
天狗、義経、と言えば・・・ な場所です。
もちろん、国宝、重要文化財、そして世界文化遺産にも登録されていますので見応えは十分でした。
ではでは。
賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)は、京都市北区にある神社。通称は上賀茂神社(かみがもじんじゃ)。式内社(名神大社)、山城国一宮、二十二社(上七社)の一社。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。
ユネスコの世界遺産に「古都京都の文化財」の1つとして登録されています。
【高札所、一の鳥居】
創建については諸説ありますが、社伝では、神武天皇の御代に賀茂山の麓の御阿礼所に賀茂別雷命が降臨したと伝えられています。
『山城国風土記』逸文では、玉依日売(たまよりひめ)が加茂川の川上から流れてきた丹塗矢を床に置いたところ懐妊し、それで生まれたのが賀茂別雷命で、兄玉依日古(あにたまよりひこ)の子孫である賀茂県主の一族がこれを奉斎したと伝えられています。
丹塗矢の正体は、乙訓神社の火雷神とも大山咋神ともいう。
玉依日売とその父の賀茂建角身命は下鴨神社に祀られています。国史では、文武天皇2年(698年)3月21日、賀茂祭の日の騎射を禁じたという記事が初出で、他にも天平勝宝2年(750年)に御戸代田一町が寄進されるなど、朝廷からの崇敬を受けてきたことが伺えます。
延暦13年(794年)の平安遷都の後は王城鎮護の神社としてより一層の崇敬を受け、大同2年(807年)には最高位である正一位の神階を受け、賀茂祭は勅祭とされた。『延喜式神名帳』では「山城国愛宕郡 賀茂別雷神社」として名神大社に列し、名神祭・月次祭・相嘗祭・新嘗祭の各祭の幣帛に預ると記載されている。弘仁元年(810年)以降約400年にわたって、伊勢神宮の斎宮にならった斎院が置かれ、皇女が斎王として奉仕した。
明治の近代社格制度でも官幣大社の筆頭とされ、明治16年(1883年)には勅祭社に定められた。
【二の鳥居及び世界文化遺産登録案内版】
【楽舎、細殿・橋殿・土舎:国重要文化財】
【土舎:国重要文化財】
【細殿:国重要文化財、及び立砂】
そして、この上賀茂神社で有名な建造物のひとつが
【楼門:国重要文化財】
そして
【本殿:国宝】
【庁屋(北神饌所):国重要文化財】
他にも多くの重要文化財が建立されています。
国宝
建造物
本殿 - 1863年建造
権殿 - 1863年建造
重要文化財(国指定)
建造物
本殿権殿取合廊 - 1863年頃建造
本殿東渡廊取合廊 - 1863年頃建造
西渡廊 - 1628年建造
透廊 - 1628年建造
渡廊 - 1628年建造
祝詞舎 - 1628年建造
塀中門 - 1628年頃建造
摂社若宮神社本殿 - 1628年建造
東渡廊 - 1628年建造
四脚中門 - 1628年建造
御籍屋 - 1628年建造
神宝庫 - 1628年建造
唐門 - 1628年頃建造
東御供所 - 1628年頃建造
直会所 - 1628年頃建造
楽所及び西御供所 - 1628年頃建造
幣殿 - 1628年建造
忌子殿 - 1628年頃建造
幣殿忌子殿取合廊 - 1628年頃建造
高倉殿 - 1628年頃建造
楼門 - 1628年建造
廻廊 2棟 - 1628年頃建造
摂社新宮神社本殿及び拝殿 2棟 - 1628年建造
摂社片岡神社本殿及び拝殿 2棟 - 1628年建造
片岡橋 - 明治初年建造「谷重雄」
拝殿(細殿) - 1628年建造
舞殿(橋殿) - 1863年建造
土屋(到着殿) - 1628年建造
楽屋 - 1628年建造
外幣殿 - 1628年建造
北神饌所(庁屋。奈良神社拝殿付属) - 1628年建造
(以下は「附(つけたり)」指定物件)
末社棚尾社本殿
摂社須波神社本殿
玉橋
末社杉尾社本殿
末社土師尾社本殿
本当は出来る限り見て廻りたかったのですが、なんと駐輪場を探すのに手間取ってしまい時間が無くなってしまったのです。
だから、今回はこれくらいで(^^)
それでも最低限のものは拝観出来たと思います。
そして、次回はここから一気に北に向かいます。
天狗、義経、と言えば・・・ な場所です。
2014-10-28 00:00
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