夏の京都 22 北野天満宮 [寺社仏閣]

今日ご紹介するのは、1月にご紹介した北野天満宮になります。
人の多さに撮影を断念したので、今回リベンジを兼ねて参拝しました。前回説明はしましたので簡単に併せてご紹介します。

ではでは

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【西回廊(外回):重要文化財】

北野天満宮(きたのてんまんぐう)は、京都市上京区にある神社。旧称は北野神社。二十二社(下八社)の一社。旧社格は官幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。神紋は「星梅鉢紋」。
通称として天神さん・北野さんとも呼ばれる。福岡県の太宰府天満宮とともに天神信仰の中心で、当社から全国各地に勧請が行われています。
近年は学問の神として多くの受験生らの信仰を集めています。

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【楼門】
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【中門(三光門):国重要文化財】
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【後門:国重要文化財】

そして
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【本殿:国宝】
本殿、石の間、拝殿、楽の間(合1棟)
慶長12年(1607年)に建立されました。
入母屋造の本殿と、同じく入母屋造の拝殿の間を「石の間」で接続して1棟とする、権現造社殿です。
当神社の場合は拝殿の左右に「楽の間」が接続して複雑な屋根構成となっていて、屋根はすべて檜皮葺き。
本殿、石の間、拝殿、楽の間を合わせて1棟としており、国宝に指定されています。

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摂社の彫刻も素晴らしいものばかりでした。
そして天満宮で忘れてはいけないものが牛です。
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牛は天満宮において神使(祭神の使者)とされていますが、その理由については「道真の出生年は丑年である」「亡くなったのが丑の月の丑の日である」「道真は牛に乗り大宰府へ下った」「牛が刺客から道真を守った」「道真の墓所(太宰府天満宮)の位置は牛が決めた」など多くの伝承があり、どれが真実なのか、それとも全て伝承に過ぎないのかは今となっては良くわからないものの、それらの伝承にちなみ北野天満宮には神使とされる臥牛の像が多数置かれています。
伝承のうち「牛が刺客から道真を守った」というのは和気清麻呂を祭神とする護王神社や和気神社の猪の伝承との関連性が強く認められているそうです。

そして、ここ北野天満宮のもうひとつ有名なものが【梅】になります。
道真は梅をこよなく愛し、大宰府左遷の際、庭の梅に上記の和歌を詠んだことや、その梅が菅原道真を慕って一晩のうちに大宰府に飛来したという飛梅伝説ができたことから梅が神紋となり、約2万坪の敷地には50種1500本の梅が植えられています。
このような菅原道真と梅との結びつきから、命日にあたる2月25日に行われる梅花祭では「梅花御供(ばいかのごく)」とよばれる特殊神饌が献供されています。
これは明治以前に太陰暦が用いられていた時代には魂を「宥める」にあやかって菜種がささげられていたが、新暦になり、梅花祭の時期が変わったために梅の花が用いられるようになったとされています。
なお、2012年現在では梅花祭における菜種は、神職が身に付け奉仕を行うという形で残されています。
この神饌では白梅と紅梅を男と女に見立て、土器の上に仙花紙を筒状に丸めて乗せ、玄米を流し入れた土台にそれぞれの梅の枝が挿し込まれ奉げられるそうです。
白梅を挿したものが42個作られこれを「男の御供」、紅梅を挿したものを33個作り、「女の御供」と呼んでいるそうです。
また、菅原道真が大宰府へ流された際に帯同した従者が薨去以後遺品を京都へ持ち帰り、鎮魂のために毎年収穫された米を奉げていたという伝承に基づき、大判御供、小判御供という形で現代においても神事が受け継がれており、その従者達の末裔である七保会の面々によって御調が行われている。

で、その梅の木から収穫されて天日干しされた梅がちょうど拝見出来ました。
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春先のご紹介よりは見やすく分かり易いのではないかと思います。
これでリベンジは達成しました!!

次回は、この旅の最大の目的地のひとつ二条城をご紹介します。撮影不可な箇所も多かったので伝わらない部分もあると思いますが、ご勘弁ください!!





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